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<レース>
朝5時。未明のスコーバレーをスタートしたランナーは399人。いきなり標高差820mの峠を目指す。この峠には開拓民の通ったという意味で「移民」の名がついている。多くのランナーが峠にさしかかるころ、背後に広がるシエラネバダの山々の中に浮かぶタホ湖の水面が朝日に輝き始める。ランナーは、そこから稜線を一気に駆け下り、シュガーパインとダグラスファーの大木の間を、稜線のブッシュの中を、アップダウンしながらも次第に標高を下げてゆく。稜線上の二つのエイドステーションで給水し、三番目のエイドはダンカンキャニオンという谷の入り口。ここまでひたすら森の中を下ってゆく。今年は雪も残っており、靴の中はすでにどろどろの状態だ。コース上の28か所のエイドステーションにはパワーバーやメロン・スイカ・オレンジなどの果物、コーラ・水・Gu2Oなどの飲み物、ときにはアイスクリームもある。あふれるほどの氷と食べ物飲み物その他が用意され、背負った給水バッグにも詰め替えをしてくれ、暑くなるとミストまでかけてくれる。28か所のエイドのうち11か所にはメディカルチェックポイントが併設さらえている。一定以上の体重減が見られるランナーは医師から休息を命じられる。
再び、トレイルは開けた谷を上り、稜線に出る。日差しがだんだんと強くなり、首筋や腿や腕を焼き始める。また下って44km地点のメディカル・ロビンソントフラットにたどり着くと、そこはまるで森の中のお祭り場のよう。300人以上のスタッフ・クルーで膨れ上がったこのエイドは最初のメディカルチェックポイント。ランナーはここで体重チエックを受け、規定より体重が減少していると休憩が義務付けられる。ここでは各ランナーのサポートクルーも待ち構えていて、飛び込んでくるランナーに大きな拍手と声援がかけられる。このエイドの通過時刻はトップで9時半、最後尾で11時半。8時には日差しが強くなり、ランナーの皮膚と筋肉の温度を上げてゆくので、最初のメディカルでドロップアウトするランナーも多い。ここまで2位以下を15分離してトップで通過したのは、高地コロラドからのランナー。素晴らしいスピードだった。日本人は鏑木さんが20分差の7位でやってきた。森に響き渡るアナウンス「Tsuyoshi
Kaburagi from Takasaki, Japan!」。前とのタイム差、前のランナーの状況を伝えると、慌しく燃料を補給して駆け出して行った。無駄を言わない、レースに対する集中力が素晴らしい。少し遅れて石川さんが到着。前回9位の彼はもう人気のようで、「Hiroki!」の声援も耳に届く。笑顔で応える彼は、アメリカ人に愛されるタイプだ。調子もよさそうに見えた。
そこを過ぎると、高度感のある稜線。標高が高いので、日差しは強いが空気は涼しい。稜線からずんずん下って林道(ジープトレイル)に出る。照りつける日差しを避けながら、カーブの連続する道を、次のチェックポイント・ダスティコーナーへと向かう。標高が下がると気温は上がる。気温はどんどん高くなってゆく。
ダスティコーナーからしばらく下るとラストチャンス。ここのエイドは「最後のチャンス」という名の金鉱跡。付近のここそこに廃屋や重機が廃れている。ゴールドラッシュの名残なんだろう。下りはますますきつくなり、最初の難関デッドウッドキャニオンへとスイッチバックを繰り返して下って行く。谷の向こうの山がどんどん高くなり、気温も上がる。長い下りに脚が悲鳴を上げ、暑さもあいまって大腿筋がオーバーヒートしそうになる。
デッドウッドキャニオンのエイドで補給すると、再び長い上りが始まる。大木の木陰の中を数え切れないつづら折れの山道。日差しがあまり当たらないのがせめてもの救いだ。ここはトップランナーでも走り続けては登れない、歩く。膝に手を当てて歩く。人の声がかすかに聞こえると、デビルズサムのエイドがきたことがわかる。左手の緑の斜面に「悪魔の親指」と呼ばれる岩塔が見えると上りは終わり、エイドスタッフが水筒を取り上げてくれ、メディカルが体重を量る。ここにはアイスクリームまである。
トップで入ってきたコロラドランナーは目に力がない、口数も少ない、疲れている。彼を追い立てるように前回の優勝者が入ってくる。大きな声と笑顔、湧き上がるエイドステーション。明らかに差がある。15分して二人のランナーが入ってくる。地元カリフォルニアのランナーだ。にぎやかに通り過ぎてゆく。5分後、様子を見に下ってゆくと赤いウェアのランナーが上がってくる。「鏑木さん、5番目です。前とは20分差、前の4人のうち二人は疲れてます」と声をかける。ここはサクラメント最大のランニングクラブ「BuffalooChips」の運営するエイドステーション。日系人も多い。片言の日本語で話しかけ、ドロップバッグを渡している。鏑木さんは、ソックスの中とパンツの中に氷を放り込む。見ている人たちが「Waoooh!!」と驚く。パンツの中にまで氷を入れるランナーは見たことがない。でも鼠頸部を冷やすのは熱中症の対処の基本。理にかなっている、さすがだ。 しばらくして、2006年まで7回連続優勝しているジュレック選手がやってくる。疲れている。メディカルでチェックを受ける。脱水。塩分欠乏、20分の休憩を取るように医師に命じられている。本人にも継続の意思を感じられない。彼はこの後、すぐドロップアウトした。
登ってくるランナーは一応に苦しそうだ。石川さんが、来ない。彼を見なかったかとランナーに尋ねると、54kmのエイドで座ってたという。無線担当に確認するとビブスナンバー"M8"のリタイヤが確認できた。ロビンソンフラットの後で足首をいためたようで、先週の韓国のレースで足首を痛めたとは聞いてた。
デビルズサムからはまた長い下りが始まる。エルドラドキャニオンのエイドまで8km。長いくだりにまたしても脚が泣き出す。つづら折れの谷底に川と橋が見える。暑さに、川に飛び込みたくなる。何人ものランナーはマジで飛び込んでいる。名前の通り、この川では現在も趣味の砂金採りが行われている。ここの下りの途中が中間点となる。
再び、上りが始まる。今度は容赦なく日差しが照りつける。もう辛抱しかない。時間がかかるとボトルの水も温まってくる。やっと上りが終わると、小さな村ミシガンブラフ。ここの広場で、再びメディカルチェック。多くのランナーはまいっている。が、難関は走り終えたと思えるランナーの目は輝きを取り戻す。限界だ、と思うランナーは弱気になっているのが見て取れる。無理はない。10分も日向にいると肌が火傷しそうな日差しと暑さだから、弱気にならないほうがおかしい。レース直前、ゴールの町・アーバンのランニングクラブの会長さんが亡くなった。いつもこのエイド・ミシガンブラフを取り仕切って、ランナーを励ましてたそうだ。開会式で、彼の死をランナー全員で悼んだ。クラブの代表は「明日、あなたがミシガンブラフからの坂道を登るとき、どうか一瞬でいいから道に微笑んでやってくれ。彼はランナーの笑顔が一番好きだったから」と言ってたのが忘れられない。35年というレースの歴史の中で、こういう話はいっぱち散らばっている。そんな話のひとつ一つがランナーを前に進ませる。彼らのもっとも愛する言葉「deicate」。情熱を捧げること。自分だけのためでない優しく前向きな響きはレースに携わるすべてのスタッフに感じられる。
次のチェックポイントはコース上唯一つの町フォレストヒル。道は森の中から岩がむき出しの荒地を抜け、照りつける日差しの中を再び下りまた登って舗装路へと出る。町へのまっすぐな車道は真正面から太陽が照りつける。この直線には誰も嫌気をさす。トップですら顔を歪めている。この町の広場は観客とランナーの家族や友人で溢れ駐車スペースなど1kmは歩かないと見つけられない。ランナーが見えるとボランティア併走する。水筒を受取りメディカルチェックへと案内する。彼女らは1時から深夜12時まで働き続ける。
トップ通過30分後、はるか遠くのゆらゆら揺れる路面の上に赤いウェアが見えた。鏑木さんだ。併走して前との時間差や前の様子を伝える。「エイドはまだですか?」「すぐそこです」。消耗しているが、目は下を向いてはいない。ここからは彼のスポンサーがクルーチームを仕立て、ゴールまでサポートする。
このフォレストヒルからは、ペーサーという伴走者をつけることが許される。ほとんどのランナーはここからの数十キロは夜の闇の中を走らなければいけない。町から遠く離れた山の中の悪路での事故を防ぐためである。だからペーサーには、夜の山を走った経験があることなどトレイルに熟達していることが条件として求められる。しかし、ペーサーは非常の場合を除き、どんな物質的肉体的な助力も許されてはいない。が、励ますことは許される。多くの場合、完走経験のある友人がペーサーを買って出る。それこそがこの大会の精神なのだ。
フォレストヒルを出ると、アメリカンリバーまで長い長い下りが始まる。「カリフォルニアループ」と呼ばれるこの曲折した下りは、延々と続く。暑さで水分を摂り続け、疲れたランナーの胃は、この長い下りで揺さぶられ致命的なダメージを受けることが多い。今回も、前半のレースをリードしていたコロラドのランナーは、午後7時谷底のチェックポイント・ラッキーチャッキーで自分でドロップアウトした。胃がもたなかったのだ。その後も多くのランナーが胃の不調を訴え、何人も撤退を余儀なくされている。
一握りのランナーをのぞき、ほとんどのランナーがこのアメリカンリバーを渡渉するのは夜になってからである。闇の中にライトに照らされた川面のワイヤーを支えるのは数名のボランティア。夕方4時前から翌朝の5時まで、交代で渡ってくるランナーとペーサーを支え励ましている。「君もランナーかい?」と、川の中でスタッフのボスに聞いた。「俺は膝が悪いから走れないんだ。だからここまで120km以上走ってきた彼らを支えたいのさ。彼らの笑顔が何より嬉しくてね」と答えた。隣から「そう、俺にはクリスマスみたいなものさ、妻は笑うけど」と大声で叫ぶ声が聞こえる。ランナーだけではこのレースは成立しない。ボランティアだけでもありえない。両方が長年にわたって支えあってきたのだ。
昨年優勝のハル選手は2位の30分前にこの川を渡っている。2位から6位の鏑木さんまではほとんど同時にここを渡った。しかし、次のエイド・グリーンゲイトまでの3kmの暑い上りで、2位の背中に手が届くまでに迫っていた。
グリーンゲイトからの13マイル(20km)は大きなアップダウンはないが、長い山襞を縫うように延々と、くねくねとした山道が続く。ここは夜になると獣も多い。猛烈な獣の臭いや、ふと感じる視線の先、闇の中に光る眼がある。一人で走るには怖く危ないところなのだ。数年前の春、このレースの練習をしに一人でこのあたりを走っていた女性がマウンテンライオンに襲われ死亡する事故があった。100年に一度の事故だった。彼女の死を悼む碑がアメリカンリバーを望む岩に刻まれている。
ハイウェイ49号を渡る場所に最後のメディカルポイントがある。州警察が出て規制をかけている。それも夕方7時半から、翌朝9時半まで。地元の理解と協力なしにはレースの存続はありえない。それもこれも、55年続くホースレースからの歴史があり、パイオニアを尊敬するこの国の風土があればこそなのかも知れない。トップがここを通過したのは、まだ明るい8時15分。そのほぼ30分後、3人のランナーが同時に駆け込んだ。地元の33歳、NYの38歳、日本の40歳。本当に熾烈を極める争い。道を知り尽くした地元の青年、100マイルのトレイルに慣れたニューヨーカー。そのどちらにも負けない集中力で鏑木さんは競り合った。
道はゴールの町の名所、ノーハンズブリッジへと3マイルを一気に下り、橋を渡ると町の入り口・ロビーポイントへと1.9マイルの最後の急登り、あとは舗装路を1マイルでゴールの高校の競技場へと入る。
この最後の熾烈な2位争い、きっと大会の歴史に残るだろう。競技場に2位で飛び込んだのは、鏑木さんだった。それから2分ごとに2人がゴール。「2位と4位では、大違いですから」という彼。プロの決心をした彼を象徴する言葉だ。
深夜のフットボール場に、場内アナウンスが響く。ランナーがゴールするたびに、彼のプロフィールを紹介し祝福する。最初から最後まですべての完走者を抱き止めるのは、この大会を25回連続完走しすべて20時間以内で完走した地元のランナーで主催財団の理事長ティムだ。
夜が明け、上位入賞者が眠っている間も多くのランナーは眠気や苦痛や暑さと闘っている。11時前、最後の完走者がラインを超えた。だがまだ二人のランナーはコースの上闘っていた。
長い表彰式の間、笑顔で過ごす他のランナー。点滴を受け見た目にも辛そうな鏑木さん。そこまで彼を頑張らせたのも「dedicate」なのだ、とすべての観衆は知っている。が、彼は心の中で「1位と2位も大違い」と強く感じてるだろう。
参加399名、時間内完走238名24時間内完走71名、その他完走2名。最高気温42℃、最低気温5度、累積標高差・上り6010m下り7320m
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