会ったことのないもう一人の自分

骨髄提供を経験して

1.登録、そして・・・

私のドナー登録番号は500番台。骨髄バンクは1998年で発足7年目を迎え、こ の夏には発足当初の目標だった登録者数10万人に達するといいますから、ずいぶ ん前に登録していたのだなぁ・・・ と思います。ある青年が白血病になり、友 人達が集まって、発足したばかりであまり知られていなかった骨髄バンクについ て、1人でも多くの人に理解をしてもらい、登録者を増やすことによって、彼に 適合する人を探そうと、骨髄バンクの活動と、彼の近況を新聞にして、定期的に 送る活動を始めました。その新聞が、彼の高校時代のクラブのOGだった私のと ころに届いたのが、登録のきっかけです。

 夫の桃太郎と一緒にでかけた血液センターでは、ビデオをもとに説明をうけ、 採血(腕から健康診断の時くらいの量の)をしたことは覚えているのですが、そ れからは、定期的に骨髄バンクからのニュースレターと、彼の近況報告が届くの を読むだけでした。彼には、4年くらいたった頃、ドナーがみつかり、移植後の 状況もいいという報告があり、その後のことは知りません。 もう忘れかけていた今年、骨髄移植推進財団から私宛てに親展の、大き目の封 筒が届きました。

 中に入っていたのは、「貴方とある患者さんのHLA型が同じ であることがわかりました。そこで、今後さらに詳しい検査およびに骨髄提供に ご協力いただけますかどうかお伺いしたく、本状を差し上げております。・・・」 という手紙と「骨髄提供者となられる方へのご説明書」という冊子、問診表、提 供意志確認書。手紙には、家族の理解を得た上で、2週間以内に返送してほしい、 家族への説明などにビデオ等が必要な場合は送ります、コーディネートの保留・ 中止を希望する場合は早めに連絡をしてほしい、ドナー候補者の健康と安全を守 るため、下記のような状態の方は知らせてほしい、といった注意書きがそえられ ていました。
 
  「役にたてて、よかったね。」という桃太郎の声に、翌日、会社でうけていた健 康診断書のコピーを添えて返送すると、2日後に、私を担当する調整医師とコー ディネーター決定の通知書が届き、その晩にはコーディネーターさんから、面談 と三次検査の日程調整の電話がありました。ずいぶんスピーディだなぁ、などと 他人事の感想を持っていた私は、私の骨髄液を命懸けで待っている人の存在を、 まだ、あまり意識できていなかったのだと思います。
2.面談・三次検査

 面談は病院の1室で、送られてきた冊子をもとに、コーディネーターさんから 骨髄移植に関する一般的な説明・今後のステップなどの説明を、調整医師からは 医学的な説明をうけました。 この時点では、まだ相手の方は私という適合者と面談が行われていることを知 りません。また、私だけでなく他にもHLA型が一致し、三次検査に進んでいる 人がいるかもしれません。まず、この面談で骨髄移植について詳しく知り、よく 考えて、次の検査に進むかどうか判断してください、そんな意味の面談なのだと 思います。

 先生からの医学的な説明のほとんどは、ドナーに対する、考えられる危険性に ついてでした。骨髄液の採取は、腸骨(骨盤骨)に皮膚の上から鉛筆の芯くらい の針をさして、注射器で吸引します。そのため、全身麻酔をかけ、さらに麻酔中 の呼吸のコントロールのために気管に管をさし、腎臓機能の状態を把握するため に尿道にも管をさして導尿します。 この麻酔による合併症、および麻酔に伴う処置に関するトラブル、採取部位の痛 みなど、さらに新聞に載っていたドナーへのC型肝炎の院内感染が疑われる事故 について、例をあげながら説明をいただきました。万が一のドナーの事故には、 最高1億円を限度として補償金が支払われること、その補償の内容、この掛け金 は骨髄バンクに登録している患者さんから出ていることを知りました。

  HLA型というのは、赤血球のA・B・AB・O型に対して、白血球の血液型 です。白血球にはA座・B座・DR座・C座・DP座・・・などといくつかの座 があって、それぞれが数〜数十種類に分けられるため、その組み合わせである血 液型は、数万通りになってしまいます。ドナーには、このうちA座・B座・DR 座の3座に対して2つずつ、つまり3×2の6つが一致した人がまず選ばれて通知 が届けられ、三次検査ではDNAタイピングという遺伝子レベルまで細かく検査 し、より患者本人に近い人を、最終ドナーに決定するのだそうです。 子供の遺伝子は両親から半分ずつ受け継ぐわけですから、よほどの偶然で両親 が同じ型を持っていない限り、親子での一致はありえません。確率的には、5人 兄弟がいれば、そのうち2人は同じ型、3人はそれぞれ全く異なる型となるわけで すが、こう考えると、血縁者の中でも一致する人が存在するのは難しい。まして 非血縁者となると、(組み合わせとして、多い型と少ない型があるので)数百人 〜数万人に一人の一致。その数百人〜数万人に一人の人物がドナー登録をしてい なければ、どんなに望んでも、骨髄移植はできません。

  そして、何よりショックだったのは、骨髄移植という治療法が、まだ生存率 40〜75%くらいであるという事実でした。私は移植さえすれば、ほとんどの 人が助かると単純に思っていたのですから。発病してから、化学療法が効いて白 血球の数が減りおちついた段階を寛解といいますが、初期のよい状態(第一寛解 期)に移植できれば、生存率は7割以上。 早い時期にドナーがみつかるためにも、登録者が多く存在することが大切なので すね。

  説明が終わって、三次検査の同意書にサイン・捺印をして、検査の採血。この 血液で、まず私自身に異常がないかどうかの一般検査、問題がなければDNAタ イピングへと進みます。少しでもよく一致する人を最終ドナーとするため、ここ で時間がかかり、結果がわかるまで約1ヵ月、通知まで2〜3ヵ月かかるという 説明をいただきました。

3.最終同意

 1週間後、一般検査異常無しの通知。そして、なんと、その2週間後に「最終 的なドナーに選ばれました。つきましては最終的なご説明とご意思の確認のた め、再度、ご足労いただきたく・・・」という手紙が届きました。
 
  最終同意は私だけでなく、家族の誰か、そして医師とコーディネーターの他 に、第三者の立会人の5人で行われます。医師とコーディネーターが十分な説明 をしたか、ドナー本人と家族がその内容を理解し、自発的な意思で骨髄移植に同 意したかを確認するのが第三者の役割です。家族として桃太郎が、立会人は他の 病院の先生でした。

  説明が一通り終わって、 「彼女はA型だから一致しやすいのでしょうか。以前にも、2次検査の通知がき たことがあるのです(注:今は登録の際に2次検査まで自動的に行われますが、 以前は別でした)。私も同じ時に登録しているのですが、O型だから、人数自体 が少ないのでしょうか。全く何もないのですよ。」とたずねる桃太郎に、 「赤血球の型は、骨髄移植には問題になりません。もちろん、一致していなけれ ば、別の処置をほどこす必要は生じますが。あくまで、白血球の型の一致です。 それに、骨髄移植が成功すると、患者さんのABO式の赤血球の血液型はドナー の型になるのですよ。さらに、血液の性染色体もドナーのものになります。」 との答え。 血液型と性別(あくまで、血液に限ってですが)が変わるぅ! 血液型の性格診 断はけっこう当たっていると思っていた私は絶句。

  2通の最終同意書に桃太郎と私、そして立会人のサインと捺印をして、最終同 意終了。これから、移植の日程や採取病院を決めていくのですが、相手側からの、 来月の移植を望んでいるという要望から、最短で1ヵ月後の移植を想定して、健 康診断の日程を決めました。 翌日、待ちかねていたかのように、骨髄採取病院、担当医師、採取日時決定の 通知が届きました。予想どおり、1ヵ月後、担当医師は今まで説明をいただいた 同じ先生です。

 この採取日程に合わせて、2週間ほど前から、相手側は「骨髄移植前処置」に 入るそうです。強い抗ガン剤と放射線照射で本人の骨髄幹細胞をすべて破壊して しまうという処置で、この空っぽになったところにドナーからの骨髄液を点滴で 少しずつ入れるのが「移植」です。この前処置というのは相当に厳しく苦しい治 療で、感染に対する免疫をなくしてしまうため、無菌室に入るそうです。この段 階で、もし、ドナーの身に何かあって、骨髄液を提供できなくなったら、その人 の命にかかわります。とはいっても、突然のドナーの交通事故とか体調不良、採 取中の何らかの事故の可能性はないわけではありません。そういう場合には、双 方の安全のために、完全に一致とはいえなくても、家族の中で一番型が近い人の骨髄液を移植することがあるとのことでした。患者さんご自身の骨髄液を前もって採取しておく場 合もあるそうです。でも、そんなことにはしたくありません。

  さて、採取日程に合わせて、ドナーの私の方では、採取と全身麻酔を想定した 健康診断(血液・尿・胸部レントゲン・心電図・肺機能などの検査)と、自己血 採血を行います。自己血採血というのは、文字通り、自分の血液を採っておくこ とです。骨髄採取によってドナーが貧血にならないように、前もって自身の血を とって冷蔵保存しておき、採取後にそれを輸血するのです。 採取する骨髄液の量は患者さんの体重1kg当たり15mlが目標だそうですから、 60kgの患者さんに対しては900mlを採取したいわけです。でも、ドナーの体重に 対しては安全のために1kgあたり20mlをこえないように採取するそうです。


4.健康診断

 健康診断はすぐに終わったのですが、この結果をもとに担当医師の問診がある ので、検査結果がでるまでしばらく待たなければなりません。ちょうど、その日 の新聞の連載記事に骨髄移植の費用のことが載っていたこともあって、コーディ ネーターさんに伺いました。

 ドナーには費用負担は一切ありません。面談や入退 院の交通費は実費が支払われますし、検査や骨髄採取のための医療費は患者さん の健康保険で支払われると聞いています。患者さんは、自分の治療費以外にどれ くらいの金額を負担することになるのか、気になっていました。お話によると、 患者さんが骨髄バンクに登録し骨髄移植に至るまでの負担金は50〜65万円、 アメリカ合衆国から提供をうける場合(全米骨髄バンクと提携しています)は 300〜400万円だそうです。 「骨髄バンクが発足するまでは、検査を個別にしていましたから、1人につき2 万円はかかりました。家族・友人に検査を依頼したとして、100人なら200万 円必要ですね。でも、そのくらいの人数ではまず、適合する人はみつからないの です。どんなに、望んでもドナーがみつからず、亡くなった方は大勢いらっしゃ いました。そして、そんな方々が、これからの人達のためにと運動をして、骨髄 バンクが発足したのです。」
  コーディネーターさんのお兄さんも10年以上前に白血病で亡くなられました。 「完全に適合する人はみつからず、最後の手段として一部一致していた私の骨髄 液を提供したけれどだめでした。」 家族が発病し、闘病生活を支え、ドナーとして骨髄液を提供し、しかし死を見 取る。そんな両方の立場の壮絶な体験をされた方が、骨髄バンクのコーディネー ターとして、穏やかな表情で、何も知らないドナーに心からの誠意で接してくだ さっています。

  移植が決定して、はじめて相手のことがわかります。年齢・性別・血液型 (ABO式)・体重だけですが。年齢は8歳、性別も血液型も私とは違う・・・。 年齢が低く、体重が軽いので、採取する骨髄液は400〜450mlと少しです。 それに、検査結果によると私は血色素量が多く、これなら自己血採血をしておか なくても、採取後に貧血になることはないだろう、ということになりました。
  10年以上前、走り始めた頃、走るたびに記録が伸びるのがうれしくて、ちょっ と無茶をしていました。ところが献血しようとして比重が軽くて断られ、貧血に なっていると知らされました。その時の先生は、「健康のために走っているのだ から、薬はだしません。食事で治しなさい。」とアドバイスしてくださいまし た。あの時に比べて、ずっと体重が増えて、ずっと遅くなったけれど、貧血が治 っていて、逆に濃いといわれたのがうれしく思います。以前の自分だったら、H LA型が一致しても、骨髄液を提供できなかったかもしれないのですから。 「生理日は骨髄採取日と重なりませんか。」 「大丈夫です。」 病院によって異なるかもしれませんが、この病院の場合、重なる時は、産婦人科 と連携をとって、薬の服用で生理日をずらすそうです。

  さあ、あと1ヵ月。自己血採血をするならば参加不可能だったマラソン大会に は先生のOKが出たし、直前の種目変更を快く認めてくださった大会側のご好意 もうれしい、思いっきり走ったら、しっかり体調を整えて骨髄採取に臨みます。 ここまで、あっという間にきてしまいました。最初の通知を受け取ってから採 取まで、ちょうど3ヵ月ということになります。昨年の場合、平均で231日、最短 日数が132日だそうですから、記録モノですね。
 この2ヵ月の間に何度か判断を求 められることがありましたが、私も桃太郎も全く迷いませんでした。「今、何か 不安はないか。」と聞かれたら、「自分に対しては、ありません。相手の方に骨 髄が生着して回復されるかどうかだけです。」と答えたと思います。おそらく桃 太郎もそうでしょう。何度も説明していただいた万が一の危険性や不快感、その 結果としての自分と桃太郎や家族の将来への不安など、正直なところ一切うかば なかったのです。何故だかわかりません。自分はものすごく自己中心的なのかも しれません。あえて言うなら、これが、私であり、桃太郎であるのだと思います。


5.入院

 入院の日の朝、しばらく入浴できないからと、お風呂に入って髪を洗いまし た。病院でも今日は女性の入浴日なのですが、ひとりでゆっくり・・・です。骨 髄バンクから送られてきた冊子「骨髄採取前にお願いしたいこと」と入院案内を 再度読み返して、持ち物を確認してリュックにつめて病院へ。玄関でコーディネ ーターさんが迎えてくださいました。入院予定は今日から3泊4日です。
  この入院や、今までの検査・面談などのために仕事を休んでも、骨髄バンクか ら休業補償が支払われるわけではありません。いつ(いつからいつまで)、何の 目的で入通院したかという証明書をその都度、発行していただけるので、あとは 職場の対応次第ということになります。骨髄バンク認定病院は全国で約100ヵ 所。岡山県内では3つ(岡山市2、倉敷市1)です。幸い、私は病院が職場から 歩いて10分程度の近くでしたし、職場が完全フレックス制を採っていることも あって通院には何の支障もありませんでした。しかし、現在の日本の労働環境に あっては、「職場の理解と、仕事の都合がつけられるか」ということが、ドナー 登録の一つの壁となっていると感じます。
 私の会社には、ドナー休暇はもちろんボランティア休暇の制度はありません。 でも、阪神大震災の際のボランティアには休暇が適用されたので、今回、証明書 をもとに何かの対応ができないかと問い合わせました。正直なところ、有給休暇 は毎年使いきれず結局捨てていますから、休暇が必要なわけではないのです。た だ、社内で話をしていても骨髄移植・骨髄バンクに対する関心があまりに低いの で、これが何かのきっかけになれば、との思いがありました。結論から言うと、 「有給休暇をあててください。」という返答で、会社の姿勢にがっかりしたので すが、声をあげることが最初のステップだと考えています。

  さて、案内された病室は個室でした。ベッドには大きな機械がくっついてい て、ビニルで囲んで準クリーンルームとなる仕様です。枕元には電話、窓際には クーラーもついています。もちろん、どれもドナーには不要の設備ですが、でき るだけ他の患者さんと同室にしないという方針なのだそうです。
 
  コーディネーターさんに連れられて、午後からは麻酔科の先生の部屋で問診と 説明をうけました。家族の麻酔経験と私自身の健康に関する質問、麻酔の方法と 麻酔に伴う処置の内容など、これまでの面談で何度も尋ねられ、説明をうけた内 容です。骨髄採取後は、隣接する回復室で状態をみて、おちついてから病室に戻 ることになります。 手術に際して、パジャマとは別に前開きの寝間着とT字帯(褌ですね)を用意 する必要があります。寝間着はコーディネーターさんにお借りし、地下の売店で T字帯を買って部屋に戻ると、担当の先生、看護婦さんが入れ替わりに現れて、 ・入院の書類作成 ・何かのアレルギーの検査 ・手術前のオリエンテーション(これからのスケジュール) ・回復室の案内 ・採血 など、慌ただしく済みました。

 早い時間からベッドに横になる気にはなれず、景色が見たくなって屋上に行 きました。病院内はほとんどが禁煙なので、喫煙が許されている屋上出入り口の 踊り場は大賑わいです。屋上を短パン姿で上半身裸の青年が歩いています。彼の 顔には見覚えがありました。 夕方、「K君は、この2つ隣の病室だね。」と桃太郎。「エッ…でも、この病 棟は……。」 今年に開催した阪神大震災チャリティWALK&RUNに彼は参加して、翌週のフルマラ ソンにむけて走り込んでいました。何の自覚症状もなく、会社の健康診断で異常が わかり、入院しているのだそうです。

  昼間、コーディネーターさんに渡されたアンケートを記入して、9時の消灯。 いつもなら、会社にいる時間。みんな、まだ、仕事しているだろうな…。指示通 り、下剤を飲んで就寝。これから手術が終わるまで、何も口にできません。


6.骨髄採取

  病院内は超サマータイムで動いています。部屋の向かいの洗面所では5時前か ら話し声が聞こえます。6時前に看護婦さんが血圧測定と採血に来られました。 「8時前には、まず前投薬注射があります。その後は動かないでください。」そ れまでに、顔を洗って、トイレに行って・・・なのに出ません! 昨晩の薬が効 いている感覚はあるのに・・・。普段のように走ればいいと思うけれど、屋上は もうタバコの人でいっぱいだし・・・。それで、階段を利用することにしまし た。ここ7階から1階まで、2往復。これで、OKでした。

  麻酔前投薬注射は、おしりの両側に1本ずつ打つ筋肉注射です。種類が違うよ うで、2本目が痛い。「これは、薬自体が痛いのですよ。」と看護婦さん。 8時45分にストレッチャーが運ばれてきて、これで手術室に向かいます。中 央手術室のドアが開くと、そこはまだ手術室ではなくて、看護婦さんの詰め所の ような部屋や、何かの準備をする部屋などいくつかの部屋があって、まだ病棟の 廊下にいるようです。ただ、皆、白衣ではなくて緑色の手術着姿です。名前を呼 ばれてあるドアの横に運ばれ、カーテンが引かれてそこで着替え。パジャマを脱 いで、焼肉屋で渡されるエプロンのような感触の割ぽう着?を着て、ゴワゴワし た布をかけて、頭にシャワーキャップのような帽子をかぶるだけです。
 
 次のドアが開くと、中央に大きなライトとその下にベッドのあるTVで馴染み 深い手術室。ベッドにストレッチャーを横着けすると、右側の看護婦さんが右手 に血圧計をつけて、胸に心電図の吸盤を着けていきます。「左手に点滴の針をさ しますよ。」「あっ・・・そのテープも留めておいてね。」という声を聞いて、 準備OKかな、と思っていたら、目の前に先生の顔。
 
  「村松さん。終わりましたよ。」 「・・・・・・。」(えっ、いつ?) 「声がでますか。」 「・・・・・・。」(首をふる。) 「管が入っていましたからね。すぐにはでませんね。しばらく休んでいて下さい。」 確かに喉が痛い。それより、唇がすごく荒れて乾いた感じが気になってしか たがありません。それに、トイレにいきたい、という感覚があります。右手を動 かして、バルーンカテーテルが入っていることを確認して、一安心。唇に触れな がら、荒れているのじゃなくて、テープか何かが貼ってあったあとだな、とナッ トク。前日にコーディネーターさんからお借りしてあずけた前開の寝間着が身体 にかけられています。看護婦さんが様子を見にきて話し掛けられる声、定期的に 腕をしめつける血圧計、私以外の人が近くのベッドにいる感覚・・・、などと、 意識はかなりはっきりしているけれど、目をあけるのがおっくうでした。

  ふと気がつくと、コーディネーターさんが枕元に。「気分はどうですか。ご主 人には電話をかけておきますね。骨髄液は、今ごろは飛行機の中ですよ。」と教 えて下さった。骨髄液を運ぶ役目は、骨髄移植をうける患者さんの入院している 病院の若い先生が多いそうです。その交通費は患者さんの負担。今年の春から保 険の対象となったものの、宿泊費は対象外です。今回も遠方からだったようで、 前泊されて飛行機で運ばれたそうです。今日はお天気が良いから飛行機が遅れる ことはないでしょうけれど、早く、無事に届いてほしい。

  採取は10時30分頃に終了し、回復室で1時間30分ほど休んで、ストレ ッチャーで部屋に戻ったのですが、手術室のストレッチャーは大きすぎて部屋に 入りません。何人かの看護婦さんと若い先生で抱き上げてベッドに運ばれまし た。先生の腕が腰にあたって「痛い!」この時はじめて、採取部位に痛みを感じ て、ああ、本当に骨髄採取があったのだと実感しました。

  12時すぎに桃太郎が昼食のパンを持参して来てくれました。カレーパンと シナモンドーナツの香りにお腹が空いて、カレーパンをいただいてパクついてい ると、担当の先生が入ってこられて、「元気そうですね。夕食から出しますから ね。」だって、昨日の夜6時から何も食べていないのですから。気分は悪くない し、桃太郎に飲み物と、ゼリー状のスポーツ飲料をリクエストしてしまいまし た。
  少しウトウトして目をさますと、右側に年配の先生と若い先生、左側に婦長さん。 「細胞数が、最初が○○で、最後が○○で・・・問題なく終了しました。」と若 い先生。 「人のために、立派でしたね。」と年配の先生。 「痛みはないですか、何かありましたら、何でも言ってくださいね。」と婦長さん。 これが、医局長さんの「回診」かしら・・・、とぼんやり考えていると、看護婦 さんが入ってこられて「カテーテルを抜きますよ。」 よかった!もう、慣れてきたようで、最初の「トイレにいきたい」感はないので すが、寝返りをうつたびにちょっと痛かったのです。それをひっぱって抜くの で、「痛い!」 抜いてしまって、パジャマに着替え、「トイレに行ってもいいですか」と点滴台 をひきずってトイレにいこうとしているとコーディネーターさんが来られまし た。トイレは、しみる・・・でもほとんど出ません。あたりまえですね、今まで 直接、導尿していたのですから。

 コーディネーターさんから「直後の」アンケート。 「採取部位の痛みは?」− 押すと痛みますが、何もしなければ、ズキズキする ことはありません。歩いても痛みません。 「おしりや身体のだるさは?」− ありません。 「不快感は?」− ありません。 「喉は?」− ちょっと、痛いです。 実は、入院の前から少し喉が痛かったのです。入院してからは37℃程度の微熱 が続いていたので、今の喉の痛みは気管チューブを入れたからというよりも、風 邪のせい、という気がしています。
  夕食はペロリ。食事ができているからと、ブドウ糖の点滴は終了しました。 明日も抗生物質の点滴があるので、左手に点滴チューブはつけたままですが、も う自由に動けます。 あまりの元気さに、昨日は「明日は泊まろうか」と言ってくれた桃太郎も「じゃ あね。」とあっさり帰ってしまいました。そう、私の方は、あっけなく済みまし た。 でも、今ごろ、どこかの病院の無菌室で、8歳の男の子が病気と闘っているの ですね。もう、移植は終わったのでしょうか。彼は、今日は、眠ることができたの でしょうか。


7.採取翌日

 朝食は豆腐とわかめの味噌汁とごはん、のり、乳酸菌飲料。食器を片づけに 行ったら、他の人の味噌汁はしじみ入りです。入院時の質問で食べ物の好き嫌 いを問われて、魚介類が苦手だと答えたのですが、あれから、食事にはでてき ません。偶然かと思っていたのですが、配慮していただいていたのですね。私 のわがままなのに。

 桃太郎から電話があって1階へ。階段を降りてみました。ちょっと腰に違和 感がありますが、痛みはありません。戻ってきたところで、K君に会いました。 「昨日の今日なのに、元気やね。ドナーって、思っていたより楽そうだなあ。」 「そう! ぜーんぜん、問題なし!」 彼には弟が二人いて、うち一人とHLA型が一致しているそうです。

 洗面所で、「一人では大変でしょう。」と女性に話しかけられました。 「私はね、日曜日まで、あなたのいる部屋にいたの。でも、よくなったから、  大部屋に移れたのよ。あなたも、頑張ってね。」 「・・・いいえ、あなたこそ、・・・・・・。」 私はドナーですから、と言って良いかどうかがわからなくて、曖昧な返事をして しまいました。優しい言葉をありがとうございます。

 午後にコーディネーターさんが、「今日はアンケートはないのですよ。」と言 いながら、一冊の本を手渡してくださいました。 『明日がいっぱい集まったなら〜まりんからの贈り物〜』まだ、骨髄バンクが発 足する前、白血病で亡くなった小さな命。ご家族の姿勢。読みながら、涙があふ れてきました。  夕方、桃太郎も読みながら、何度も休憩。「この本は多くの人に読んでほしい なあ。」マンガですから、誰にでも読みやすいと思います。

 先生が入ってこられて、「移植は無事に終了したという連絡がありましたよ。」 と教えてくださいました。でも、これからなのですね。


8.退院

 翌朝、採血と最後の点滴が終わって、採取部位のチェック。退院しても、4〜 5日はお風呂に入れません。採取部分は毎日消毒して、ガーゼを取り替えなけれ ばなりません。看護婦さんが手順を説明してくださって、 「これ、ご自宅では、誰かにお願いできますか。」 「お・・・夫に・・・。」 桃さん、きっと冷やかしながらされるのでしょうね。でも、よろしくね。

 コーディネーターさんが「48時間後のアンケートをお願いします。」 もう、特に何て事はありません。採血部分も押せば痛いという程度です。昨日は 一日中、ベッドではなく横のソファで過ごしたくらいですし、頭もスッキリ。 「自分が耐えられる上限の痛みを10としたら、今回の痛みはどれくらいですか。」 「うーん、1か2くらいです。」 前回、コーディネーターさんが担当された女性は「8」と答えられたそうです。 その方は、相手が男性で、採取した骨髄液の量が800mlと私の倍でした。痛みや 回復の度合いは個人差が大きいようですが、この48時間後アンケートのこれま での結果(回答数802)では、 ・採取した場所が痛む・・・はい15%  少し65%  いいえ20% ・歩くと痛む・・・・・・・はい12%  少し45%  いいえ43% ・身体のだるさがある・・・はい6%   少し25%  いいえ69% ・不快な気分がある・・・・はい2%   少し9%   いいえ88% ということですから、採取二日後にはほとんど回復して、退院可能なようです。

  「これを預かっています。」と、『ドナー様へ』と書かれた封筒を受け取りま した。骨髄を提供する男の子のご両親からの手紙でした。4歳で発病して、3 年間の闘病の後、退院。再発、入院、退院。再再発。もう今、移植しか方法が ない、しかし家族は誰も一致しなくて、バンクに登録したという状況だったと 知りました。 「彼にもし、弟さんか妹さんがいたら、お母さんは彼につきっきりですから、 この4年間、ほとんど下の子供の面倒をみてあげることができていない・・・ そんな闘病生活を続けてこられたかもしれません。」とコーディネーターさん。

 二週間後の健康診断の日時を予約して退院しました。「大事をとって」タク シーで帰りましたが、戻ってから、「喉がかわいたなあ、おなかが空いたなあ。」 と自転車で動き回っても痛みはありませんでした。部屋の中は片づいていて、 洗濯物がたたんであって・・・感動。桃さん、ありがとうございます。


9.その後

 翌日から、通常通り出社。二日後にはディスクを投げて、一週間後には朝の ランニング10kmを再開、二週間後の健康診断では何の異常もなく、私の骨髄提 供体験は終了しました。
 でも、8歳の男の子は、今も、移植後の拒絶反応やGVHD(移植されたリ ンパ球が患者さんの身体を攻撃する「移植片対宿主病」)、感染症と戦ってい るのだと思います。回復して、大地を走り回ることができますようにと、応援 することしかできません。どうか、どうか、頑張ってください。


●追伸 

 長い体験報告におつきあいくださいまして、ありがとうございました。 移植という選択肢が全ての方にあり、誰にも判断するチャンスがある、そうい う環境になることを願っています。
 なお、体験記の中に引用した数字は、コーディネーターさん・担当の先生に ご説明いただいたもの(冊子「骨髄提供者となられる方へのご説明書」および その「補足事項」が中心です)と、「日本骨髄バンクニュース」を参考にしま した。ただ、思い違いなどで、誤った数字を用いているかもしれません。その あたりは、補足・修正いただけましたら幸いです。