募金の缶を持って走るCynthia
ホッパーマラソン(オーストラリア:アルバニー〜パース600km、チャリティ)
西オーストラリアの南端の町アルバニーからパースまでの約600kmを4.5日で走るこの大会は TV局主催のチャリティマラソンで、スタートしてからテレビやラジオで各ランナーの位置を知らせ、募金を募るものでした。スポンサ−はハンバ−ガ−ショップ。日本の「24時間テレビ」に似てます。
1993年の時点で、チャリテイマラソン自体、こ の国ではめずらしくないようで、町を歩いていても、様様なステッカー貼った車とラ ンナーを見かけますし、「誰々には1km走る毎に○ドル支払うチャリティスポンサ ーがついている」という話しもよく耳にしました。
かつてWestfield Runで出会った懐かしいランナーと再会しましたが、道路端に手紙を張り付けて後から来るランナーを励ましたり、主催者の車を激励の伝令代 わりに走らせるなど、みんなでゴールを目指そうという雰囲気はWestfieldRunの戦争のような緊張感とは異なるものでした。
RD.Rudi
チャリティ番組のディレクター兼レースデイレクターのRudiさんはインドから、ドクタ−のLeeさんは中国から、我らのクルーのCynciaはフィリピンからと、様々な国 からやってきた移民で成る国・オーストラリアの実情を改めて実感しまし た。
このレ−スの難しさは、前半の無人の山中を走る200km、中盤の海辺の直線80km、パ−ス市内の車とアップダウン、に尽きるでしょう。
昼夜雨に降りつづけられ、直線のない曲がりくねった同じ風景の中をほとんど車や人と会うことなく走り続けることは、とても悲しかったです。それゆえ、ランナ−同志はまさに同じ目的を持った「同志」なのだと実感しました。
また、私は中盤の直線で立ち止まってしまい、再びオ−ストラリアの大自然に負けてしまうのか、と思ったのですが。NZのお母さん/Sundyさんの走りを見、自然に対するコンプレックスを「受け入れる」ことができました。このことは、私のランニングライフにおいて、目から鱗が落ちる思いでした。
道端にでかいキャンピングカ−を止めて仮眠を取っていると、突然どかどか入って来て、私を揺り起こし「元気かぁ-っ」と笑いかけるBrian Smith。とてもやさしいス−パ−マン。私にとってはもっとも理想に近いランナ−です。