John Muir Trail
ジョン・ミューア・トレイルは、カリフォルニア州(USA)を貫くシエラ・ネバダ山脈を横切る、長さ210マイルのトレイル。
スタート(ゴール)はヨセミテ国立公園のハッピー・アイルズ。ゴール(スタート)はホイットニー山(4418m)。
アメリカ西海岸をカナダからメキシコまで縦断するパシフィック・クレスト・トレイルの一部。
地図(部分)
ジョン・ミューアは、U.C.Davisで教鞭をとっていた。
彼の信望者でカウンターカルチャーの旗手だったゲーリー・スナイダー氏(ピュリッツアー賞作家)もU.C.Davisの教授。
私のアメリカの姉もU.C.Davisで細胞学の研究者をやっている。
まぁ、ただの偶然だけど、縁といえば縁。
ジョン・ミューア・トレイル・レポート
(2000年8月4日〜8月11日)
トレイルまでの長い道(準備) 第1日:サンフランシスコからセントラルバレーへ 第2日:アムトラックからヨセミテへ 第3日:出発〜ツォルム・メドウ/ライエル・キャニオン 第4日:憧れのサウザンド・アイランド・レイク 第5日:異変起こる〜蚊の谷、 第6日:優しい人々〜バーミリオン・バレー・リゾート 第7日:自然の中で眠ること 第8日:異変再び、ミューア峠にて 第9日:決断、ビショップ峠へ ジョン・ミューアはアメリカの自然博物学者・研究家・実践家で、自然保護の父であり、「国立公園」の父である。また、自然保護団体「シエラ・クラブ」の創始者の一人でもあります。フィールドワークをもとに、エマーソンやH.D.ソローの理論に実践の厚みを持たせたといえる人。アメリカの農業や生化学分野において先端をゆくカリフォルニア大のデービス校(U.C.Davis)での教授も努めた。
John Muir Trail (JMT) ヘ
2000年8月4日〜11日
ジョン・ミューア・トレイルはカリフォルニア州(USA)を貫くシエラ・ネバダ山脈を横切る長さ212マイルのトレイル。
トレイルのスタート(ゴール)はヨセミテ国立公園のHappyIles。ゴール(スタート)はWhitney山(4418m)。
2000年8月。ついに、ジョン・ミューア・トレイルに旅立つことになった。
この計画を思いついた1996年いらい、毎年計画は立てていたのだが、毎年6月末のカリフォルニアでの100マイルレースがあるため実現には至らなかった。しかし、昨年末から、「今年こそは」と実現を心に決めていた。
<準備>
まず、JMTを歩くためには、許可が必要となる。これは、自然へのミニマムインパクトと自然を楽しむ自由との均衡を図るため、アメリカの国立公園局が実施しているコントロールである。公園(NationalPark,NationalForest,Wilderness)で一泊以上過ごそうとする人は誰でも当局の許可を得なくてはならない。日帰りならもちろん自由である。なおかつ、許可を得たもの(ここではJMTハイカー)には、各種の守るべきルールが示され、違反すると罰金(旅費より大きい!)が課せられる。許可はインターネットで得ることができる。なんて便利なんだ!。
時期は、8月がベストだと思う。7月は寒いが、雪が多い。9月は花が少なくなる。ただ、旅費が割高なのはいかんともしがたい。
ともあれ、トレーニングだぁ!と、6月には600kmを走りこみ、7月には500kmと毎週の高所トレーニングを計画していた。
ところが、3週間の休暇のためには、片付けるべき仕事がたくさんあったのだ。妻も、私以上に(はるかに)、多忙であった。つまり、仕事+家事+トレーニングという状態では、やはり、トレーニングにしわ寄せが行くのはあたりまえのことだった・・・。トレーニング量を落とすことは、本番での苦しみや危険を増やすということを意味している。が、これも運命なのか、試練なのかも試練。
<装備>
実は、このJMTハイクのあと、コロラドの山の中:Leadvilleで100マイルレースがあり、それに参加するための高度馴化をも兼ねた、とても虫のいい遠征スケヂュールだった。これが、あとで不幸を呼ぶことになったのだ・・・・。そのため、「あわよくば走りたい」という欲張りな希望が、できるだけ軽い荷物での「ファーストパッキング」へと方向を決めていったのである。ザックはバイレスの廃版30lだが、入る量はRoweの倍れす、というのは駄洒落で、でも25%増しだ。
衣類は最低限の量、食料は行動食中心、テントはなし、スタート時の重量は、自重66kg+パック9kgというものだった。
具体的な装備と計画はこんな感じだ。(1) 装備
ザック(35L)、コンパクトシュラフ(ME社羽毛)シュラフカバー(REI)、 エアーマット(Monbel,L)、ストーブ(SIGG)、燃料(200ml)、 浄水器(PUR)、食器(ソロ)、水筒(NalgenCanteen)、ナイフ、 ヘッドランプ、レスキューシート、薬、ファーストエイド・キット、 ストック:1、カメラ、フィルム:5、筆記具、本、地図、 ベアーバッグ(カウンターバランス用)、水ボトル <ウェア> 雨具(ゴア:上のみ)、防寒着(マイクロフリースの上下)、 着替え(Tシャツ・短パン・ソックス:各1)、 行動時は、ポロシャツ、ハーフタイツ、ソックス、ランニングシューズ、 <食糧:前半3日分> ジフィーズ:1、ご飯:3、味噌汁:6、スープ:4、カロリーメイト:6、 エネルゲン:3 <後半:6日分:熊缶に入れてデポ> ご飯:6、味噌汁:12、スープ:8、カロリーメイト:12、ココア:1、 スキムミルク:1、エネルゲン:6、梅干:少し、以上、しめて前半は9kgだ。ただし後半は4・5kgの増加となる。 つまり、後半の食糧は熊缶に詰めて、90マイル先の Vermillion Valley Resort (V.V.R.)というキャンプ地に送ることにした。 ここV.V.R.は、JMTでは最も有名な補給基地である。トレイルからだと 細長い湖の反対端にあり6マイルほど離れてしまうが、無料のフェリー ボートで送迎してくれるし、荷物を前もって送っておけば預かって くれる。
(2)日程
8/2 岡山 == 東京 == San Francisco ==(列車・車)=> Modesto (10,500miles)
8/3 =(列車)=> Merced =(バス)=> Yosemite Valley (??miles)8/4 スタート:Yosemite Valley (0 miles)
8/4 -> Tuolumne Meadows (24 miles)
8/5 -> Reds Meadow (60 miles)
8/6 -> Edison Lake Trail (86miles) =(Ferry)=> V.V.R.
8/7 -> Muir Trail Ranch (106 miles)
8/8 -> Le Conte Canyon (135 miles)
8/9 -> Twin Lakes (163 miles)
8/10 -> Ceder Grove Trail (179 miles)
8/11 -> Bighorn Plateau (193 miles)
8/12 -> Summit of Mt.Whitney (207 miles)
8/13 -> Whitney Portal (213 miles)8/13 =(車)=> Lone Pine =(バス)=> San Diego
(地図を参照(137KB)してください。ぜひともプリントアウトして見てください。)
(また、メールをいただければ詳しい地図もお送り できます。)
ただ、これはあくまで予定であって、実際その場の様子もわからないで 立てたものなので、非常にいいかげんなものである。 ただ、一日26〜30マイルを目処に頑張りたいと思っている。さて、食料を送らねば・・とV.V.R.のホームページで住所をチェック。 ん!。「注意:預ける荷物は本人到着の2週間前に届くように送ること」 と書いてある。なんと、今が二週間前じゃないか。あぁ〜、お粗末。 とりあえず、EMSで送れば3日で着くから何とかなるさ・・・。
けっこう、のんきだったりする(緊迫感がないと言われた)。
何だかんだと仕事雑用に追いまくられているうちに、出発の日が来て しまった。東京・八重洲ブックセンターあたりでうろうろ。都会は 刺激だらけで、頭と眼が疲れてしまう。いろんなものがあふれていて きょろきょろしてるうちに迷ってしまいそうだ。成田空港でチェックイン。手荷物検査で、案の定、引っ掛かった。 ストーブか、ナイフか、シグボトルか? 検査係の若い娘さん、ストーブを取り出す。袋を開けて 「これはなんですか?」 「あ、メタです。固形アルコール。」 余計なこと言ってしまい、没収されてしまった。 やっぱり燃料周りの物はバラバラに詰め込んでおくべきだった。
シグボトルにはガソリンが入ったままだった、おとがめなしだった。 きっと、小さすぎて燃料ボトルだと気がつかなかったに違いない。
今後のため、とてもよい教訓になった。ともあれ、小さなハプニングで夜間飛行の旅に・・・・・。
John Muir Trail Map (1st part)
John Muir Trail 最初の部分(緑色の実線)
(Official Map and Guide of Yosemite からコピー)
John Muir Trail (JMT) ヘ
2000年8月4日〜11日
トレイルまでの長い道/アメリカにて
続きです。今度からいろんな固有名詞や地形などがたくさん出て きますので、地名は英語表記、人名や地形の呼び方などはカタカナ 表記にしました。読みにくいとは思いますが、ごめんなさい。 ----------------------------------------------------
San Franciscoに到着したのは定刻から2時間遅れだった。 税関を出てくると、出迎えの人の山だ。いろいろな表情が 入り混じり、でも多くは輝いて見える。暫くぶりに会う人 を待つ喜びが顔にでているのだろう。人の喜ぶ顔はとても 素敵なものだ。と、私に向けられた笑顔発見!。 ダンとメイの顔だ。二人は日系の一世と二世の夫婦。二人とも もう90歳近い。この地では、私と(後からくる)妻は、 彼らの「末の子供」になっている。 彼らの娘と私達が出会ったのは、90年のSacramento (Californiaの州都)だった。年末年始にかけて行われた 6日間レースに参加した時のこと。以来10年間の 付き合いになる。私らは、もう今では彼らの家族の一員 となっているようだ。 この老夫婦は二つの大戦や大恐慌を体験し、4人の子供を アメリカ人として育て、大学にまでやっている。子供達は 日本語を教わることもなく、生粋のアメリカ人として育ち、 U.C.Barkley、U.C.Stanfordといった最高の教育を受け 社会に貢献している。今、改めて、彼らの孫が日本語の 勉強を始めたそうだ。人の歴史とは偉大なものだと 彼らを見ていて思う。
あぶなっかしいおじいちゃんの運転で空港近くのREIへ 買出しに行く。なかなかまっすぐに走れない。正直なところ 替ってあげたかったが、彼のプライドを傷つけそうなので 助手席で身を硬くしていた。(汗)
REIでは、シュラフカバー(Bivy Sack)、Nalgenの 水筒、ランニング用ボトル、そしてメタを買わなくては トレイルに出られない。BivySackは、シェルター様の シュラフカバーのこと。ゴア製で蚊帳付$185を買った。 後でわかったことだが、ゴアなのは上(前)半分だけで、 下はナイロンだった。この値段では当たり前だけど。 ところが、メタがない。店員に聞いても置いてないという。 プレヒート不要のストーブがほとんどだからだろうか。 もう、あきらめるしかない。火事を起こさないように しなくては・・・。
老夫婦の家でご飯をいただいて、彼らの次男の待つ駅まで 地下鉄で行くことにした。地下鉄は年内にSF空港まで 入るそうで、ダウンタウンに行くにはとても便利になりそうだ。 また、結構郊外にまでは伸びており、ゆくゆくはModesto あたりまで伸びると、迎えに来てくれた次男ケンが話して くれた。 ケンはKKIというGateway社の関連会社を経営しており、 飛行機も持っているというちょっと素敵な生活をしている。 今年、高校を卒業する娘と一緒に来日し、我が家にも泊まって いった。来年はSierraNevadaの遊覧飛行に連れて行って くれるそうだ。 彼ら一家の暖かいもてなしはとてもありがたかった。
<Yosemiteに向かう道>
家族に見送られ、ケンに送ってもらい、アムトラック鉄道の Modesto駅へ。 光あふれる広々とした駅。静かにやってくる2階建て列車。 列車は、Mercedまでの約30マイルを1時間弱でゆっくり走る。 鉄道は、まばゆいCentralValleyの畑の中をまっすぐ進んでゆく。 車窓を流れて行くのは、このあたりの主産物アーモンドの樹の 長い列。 かつてジョン・ミューアは、ここの季節を、 「つかの間の春と夏、そして秋までは死の季節」 と言った。連日、40℃を超えるという乾いた太陽の季節。 かつては、海岸山脈を越え、乾いた暑い風のせいで何も 育たない砂漠のようだった Central Valley。 いまはSierraの豊かな水で灌漑し、緑あふれる畑が広がって いる。家々の庭には青々とした芝生があり、スプリンクラーで 水が撒かれている。Californiaの人たちはSieraの恵みを まさに「湯水のように」浪費している、と私は思う。 今回の旅はまさにこのアメリカの矛盾を見る旅だった。
Merced駅に到着。わいわいがやがやと大勢が降りてゆく。 ほとんどの人はYosemiteN.P.に行くのだ。 「アメリカの誇り」と呼ばれるYosemite国立公園。YellowStone GrandCanyonと並ぶアメリカで最も人気のある自然公園。 いったい、年間何百万人が訪れるのだろう、私は知らない。 でも、その公園から一日入ったところまで足を伸ばす人は少ない。 なぜなら、そこには大きな「距離」と「危険」があるからだ。 ウィルダネスとは自然そのもののことであり、その中には、この 二つの要素に加え「かけがえのない美しさ」も合わせ持っている。 だから人は、苦痛と困難と危険を承知で、このウィルダネスを 目指すのだろうか。
John Muir Trail (JMT) ヘ
2000年8月4日〜11日
トレイルまでの長い道/Yosemiteにて
Merced駅で降りた大勢の客のほとんどは団体のようで、アムトラック鉄道の定期バスに乗ったのは3人だった。
バスは明るい木陰の続く町を抜け、延々と続くなだらかな草原へと入ってゆく。牧場とも荒地ともつかない給料が茫漠と広がり、はるか遠くに山並みが見える。草原は丘に、丘陵は山に近づく。あるものといえば、草と石、オークの樹ぐらいだろう。
先住民の言葉にちなんだ小さな町をいくつか過ぎ、周りの丘は背を伸ばしいつのまにか高い山になっていた。バスに揺られていると眠くなる。私の場合、時差による眠気は二日目がピークになる。寝てしまった.
気が付くとバスはMerced川に出ていた。この川はYosemiteValleyのなかを通り抜け、海へと向かっている。このあたりでは木々は大木の疎林となりSieraの森独特の雰囲気がただよっている。川には釣りをする家族や、ラフティングを楽しむグループ、対岸の旧道をランニングする人など、多くの人たちが自然の中でリクリエイションしている。「こんな山の中で?」という疑問符がつくほどだ。
暫く上っていくと国立公園のゲートに到着。大きな岩が崩れアーチを作っていることからArchRockEntranceと呼ばれている。ここから入るのは初めてだ。
岩の隙間を抜けると、もうYosemiteValleyである。広広と明るいしたメドウには数十メートルの高さの大木が散らばっている。
以前にWawonaから入ったとき、車をとめた狭くなった渓谷の入り口は「天国への門」だと思った。
ここに入るたびに、いつも胸が熱くなるのはなぜだろう。
大木のそびえるメドウを進むバスのなか、歓声と驚きの声があがる。ElCapitanだ。世界最大の花崗岩の一枚岩。「岩壁は自然の作り出した一つの絶望である」と言ったのはヘルマン・ブールだったろうか。絶望もここまで巨大になれば、憧れさえ感じる。しかし、何度見上げても、その存在の偉大さに、背筋が寒くなる。かつては、ここを攀じる自分の姿を想像したのに、見物者となってしまったことに、時の流れを感じた。
HalfDomeを半分に削り取ってしまった氷の流れにさえ耐えたElCapitan。彼は永遠の憧れだ。
なぜ、胸が熱くなるかって? 存在自体が感動なのだ。「天国の庭」という表現に華美な不自然さがなければ、ここはその名がふさわしい。
この谷の中の車道は一方通行になっており、バスはCurryVillageからビジターセンターを回って出てゆく。とりあえず宿泊場所のCurryVillageにチェックインした。午後3時にならないと鍵はもらえないと言われて、歩いてVisiterCenterへ。
久し振りのヨセミテはやっぱり素晴らしい。RoiyalArchesとYosemiteFallを見上げる真中のメドウの草の上に座ってビールをいっぱい!
この前、来たのはお正月。ヨセミテ滝の最上部・落ち口まで登っていったのを思い出した。いまは、雪もなく、雲もなく、木々の緑にあふれている。
ビジターセンターの隣のWildernessCenterで許可証を貰う。ここで働くパーク・レンジャーの女の子に許可証を発行してもらい注意事項の確認をされた。
Ranger:「ルールは知っているね、熊も蚊もとってもアクティブだから気をつけて。
特に食料の管理はきちんね。熊缶は持ってる?」
桃太郎:「持ってないけど、V.V.R.でピックアップします。」
Ranger:「??。まぁ、いいでしょう。
それからLittleYosemiteValleyの手前とTuolumneMeadow付近はキャンプ禁止です。」
桃太郎:「えっ?TuolumneMeadowはダメなの?」
Rager:「ダメです。LyellForkより向こうかにしてください。」
桃太郎:「えっ、でもキャンプ場があるでしょ。」
Rager:「ダメです。TuolumneMeadowから4マイル離れないと」
桃太郎:「わかりました」
困った。初日は高度に慣れていないし、早めに、人の多いTuolumneMeadowでテント張りたいな、と思っていたのに・・・・予定が狂った。(^^;
仕方ない、初日に距離が伸ばせるのも好都合だし、行っちゃうか。と、考えながら、夜の食事のサンドイッチとビール・牛乳を買って、宿泊所へと足を運ぶ。途中、山用品店でカウンターバランス用のBearBagを買う。
初日はTuolumneMeadowのキャンプ場のBearContainerを利用するつもりだったので何の準備もしていなかった。
カウンター・バランスとは高い木の細い枝に食糧をつるす方法で15mほど細いロープの片方に石、片方に食糧を結び、石側を枝に放り上げ、食糧側を棒で持ち上げて熊の手の届かないところにつるしておくという伝統的な方法だ。BearBagはそのための細引きと石や砂を入れる袋がついている。
BearContainerは、よく利用されるテントサイトに設置された頑丈な鉄製の箱で、鍵がかけられるようになっている。
ここヨセミテのような場所(施設)は日本では考えられないだろう。
アメリカの国立公園は、全ての国民の貴重な自然財産を守りできるだけ多くの国民が利用できるように管理されている。 つまり利用することは国民の権利であり、一定の要件を満たせば 誰にでも利用する許可を与えなければならないわけだ。 日本のように当局に許可権限(自由裁量に近い)が認められているのではない。 これは、行政の根本的な発想が違っているからであるが、 許認可権限を持つ行政組織が偉そうな顔をする「お上」意識 が抜けない日本では、アメリカのような国立公園管理システムを 作るのは無理なのだろうか。公僕たるべき役所が公民より偉い わけがないのに・・・。愚痴はこれくらいにしないと。必然的にミニマム・インパクトの概念についても日米では大きな 差異があるように思われる。
自然保護と国民の権利を常に利益考量 するアメリカと、常に国民の権利は二の次に考える日本では、差が あるのは当たり前だ。
少々の犠牲を払っても、できるだけ多くの人に 自然を利用させることで自然保護意識を育てようとするか、 極力使用を制限することで自然を保護しようとするのか、難しい 問題だ。
もちろん、人間の存在そのものがすでにミニマム・インパクト なわけであるから、どちらにしても五十歩百歩なのかもしれない。
CurryVillageではキャンバステントキャビンなので食べ物はテントに 持ち込めない(熊がやってくるから)ので、コインロッカーに入れる。 25¢硬貨が6個もいる(*o*).
谷は薄暗くなり、空にはくっきりと半月が輝きだした。HalfDomeの 上に輝く月。アンセル・アダムスの代表作にもあった冴え冴えとした 月だ。
外では黒人のキリスト教団体の説教、若者のラップ音楽と 多種多様な雑音でそうぞうしく、寝られやしない。
便所の隣なので証明が眩しくて、あ〜あ、という感じだ。
まぁ、明日はLyellForkまでの26マイルだ。ゆっくり行こう。