John Muir Trail 2009

この夏、カリフォルニア州のヨセミテ国立公園から、アメリカ本土最高峰のホイットニー山まで340kmほどを歩いたときの記録です。
8月2日 Modesto - Merced (AMTRACK)
 昨日、サンフランシスコに着いた。例によって、イミグレーションでトラブル。毎回のことなので、今回は事情を説明した書類を用意してきた。その効き目なのか、「1:30の列車に乗らないといけないんだ」とアピールしたのが良かったのか、何とか30分くらいで通してもらえた。だが、空港からBARTに乗って、リッチモンドに着いた時には、アムトラック東行きの”SanJuaquin号”は出発した後。次の便は4時間後、なのでホームの待合室でうたた寝。
日が暮れて、モデストに着き、ケンの家で一泊。荷物のパッキングを済ませた。

 
 夏の第一日曜日は日曜ミサの後、ピクニック。スペインのミサとはずいぶん違って、カジュアルでアットホームな雰囲気。音楽も歌も日本やスペインのとはちがっていわゆる宗教的な古典さがなく、アメリカ的AORというかカントリーぽい雰囲気で、とても親しみやすかった。
私は別にキリスト教徒ではないけれど、ミサの雰囲気はとても好きだ。何より、居合わせた人の雰囲気がやさしく、思いやりに満ちているから。
プロジェクターに映し出される写真やメッセージ。亡くなった人の冥福を祈り、病気の人々の平癒を祈る静かな時間が、穏やかに流れる田舎の町の日曜の過ごしかたを教えてくれる。こういう穏やかな時間を日本人はすっかり忘れてしまっている気がする。
明日から始まる11日間の山旅。前回、熊と病気に悩まされたことや、いろんな不安があったけれど、こういうミサのおかげで、大切な気持ち…「何ヶ月も楽しみにし、やっと得られた大切な時間なんだ」という気持ちを、改めて思いだした。不安に思うことなどないはずなのだ。

 駅までケンと娘のケンドラが見送りに来てくれた。100輌の貨物の通過した後、”SanJuaquin”に乗り込んだ。マーセドまで30分。明日の朝一番のバスで、ヨセミテ渓谷に上がるので、今日はマーセド泊まり。ホテルの近くのショッピングセンターを教えてもらったが、半分休業状態で、必要なものは何も買えなかった。近くのコンビニで材料を買って、明日の朝食とサンドイッチを作った。町の雰囲気はちょっと荒んでて、夜の一人歩きは危ない感じ。
 結局、パックの重量は24.8lbs(11kgちょっと)にまでなってしまった。不安が荷物を重くする。これでは走れない。

8月3日 Happy Isles (Yosemite Valley) >> Merced Lake   (第1日:12.7miles)
 今朝は、ジェットラグなのか緊張なのか、4時に目が覚めた。ケンのところでもらったサンドイッチとホテルのコーヒーで朝食。若者がたむろするコンビニで、バッテリーの予備を買った。
駅で7:10発のバスを待つ。YARTSのバスの乗り込み、2時間半のバス旅。途中、いくつもの村に停まるのを見ながら、昨日の最後のバスで途中まで来て泊ってたら、8時にはヨセミテについてたかな、と思った。

 ヨセミテについて、まずウィルダネスパーミット(野外許可証)を取りに行く。予約証を見せながら、「グレーシャーポイントからハッピーアイルズに入山許可を変えてもらえないか?空きはないの?」と交渉を始めた。しばらく困った顔をしてた係の女性、笑顔で拝むと、「仕方ないわねぇ」という感じで、変更してくれた。頼んでみるものだ。
というわけで、初日の宿泊はマーセド湖のキャンプサイトになった。今回は、サンライズクリークからロングメドウ・ツオルミメドウという正しいJMTルートでなく、マーセド湖からボーグルサング山を経由して、ライエル峡谷でJMTに合流するルートを選んだ。マーセド川がヨセミテ渓谷の中心だからだ。

 昼前、観光客でごった返すハッピーアイルズ・トレイルヘッドから入り、ヴァーナル滝へと登る行列の人となる。40分で滝に着く。ここを過ぎると、観光客はほとんどいなくなる。ミストトレイルから40分の登りでネバダ滝に出、滝の落ち口からヨセミテ渓谷を振り返る。400m下に広がる渓谷とメドウは氷河が作り出した地上最高の芸術品だ。当たり前だけれど、こういう風景は日本ではお目にかかれない。

HappyIslesTrailhead
 

trail and river at Bunnel Pt
 

deers at Echo Valley

 リトルヨセミテバレーのレンジャーステーションで、JMTを離れ、マーセド川沿いに遡って行く。
マーセド川はきらきら輝きながらゆったりと流れ、水は澄んでいる。釣りを楽しんでる人がいる。あんな高い滝の上に広くゆったりした谷があるなんて、日本の地形ではお目にかかれない。氷河と年月が作り出した風景だ。風化したグラナイトが作り出した林の道は砂浜を歩くように、とても歩きづらい。
山火事で焼けた松が並ぶ中、時折、樹勢のいい松が残っている。火に焼かれながらもぶ厚い樹皮が体を守った松だけが大きくなり生き残れる。

マーセド川は様々な風景・地形を作り出している。モレーンドームと呼ばれる釣鐘を伏せたような岩山が時々そそり立っている。大きな滑り台のような「なめら滝」では親子が滑って遊んでる。私は、その上流で水を汲み、フィルターを使って飲み水をボトルに補給した。カスケードには、マーモット、ネズミ、リス、クマ、ヒツジ、鳥など様々な動物が住んでおり、渓流の上にはメドウや湿地もある。動物の糞や水溜まりの水も流れ込んでいるため、きれいに見える渓流の水にも、いろいろなバクテリアやウィルスが住んでいる。ハイカーにフィルター(浄水器)は必需品だ。
植物も多様だ。松の種類は驚くほど多い。中でも長さが50cmくらいの松毬(サトウマツ)や、さまに「パイナップル」という松毬(カリフォルニアアカマツ)は、代表的なシエラの松毬だ。でも、うかつに触ると、松ヤニでしばらく手がベトベトになってしまう。

 谷を渡る橋がある。流れで回転する岩が岩盤を穿って穴をあけている。道は危険を避け、高みへとスイッチバックしながら登ってゆく。とても手間がかかったトレイル部分もある。どこの国でも登山道や山深いトレイルの保全には手間と費用と汗がかけられている。私たちは、このトレイルのありがたさを考え、大切にしなければいけない。

  歩き始めて4時間少々。エコーバレーのメドウに出た。音がするので目をやると、鹿の親子がいる。慌ててカメラを出すと、そそくさと逃げてゆく。動物を撮るのは難しい。足元にはいろいろな花が咲いてる。一番多いのは黄色い菊(日本で猛繁殖している)や、薄紫のキク。このあたりは一泊程度のハイカーも多く、ときどきすれ違う。「how is it doing ?」「good, and you ?」こんな決まり言葉が交わされる。ハイカーはみな思い思いのペースとコースを取っていて、気に入ったところがあると何日もそこで過ごしたりする。とても自由に時間を過ごすことができる。精神的なゆとりがないと、自然は堪能できないのかもしれないなぁ、と自分の心のありようを振り返る。そう、前回9年前にここを走ったとき、苦しくかった。仕事や煩わしいことを忘れたい、次のレースのトレーニングにもしたい…いろいろ考えて、この自由な贅沢な時間を楽しむことができなかった。あのとき、「次にここに来るときは絶対に走るまい」と決めたことを思いだした。

 氷河に磨かれた岩盤の上に立つ松。一粒の種がここまで大きくなるには、どれほどの時間と偶然が積み重なってきたのだろう。どれほど多くの命の中からここまで大きくなったのだろう。そう考えると、自分の存在はなんと脆弱で短命なんだろうと思う。束の間に通り過ぎる私たちの存在が、何百年の生きている彼らの存在を壊していいわけがない…こう感じ、謙虚に生きることが、この公園や道を作った目的なんだと、あらためて気がつく。マーセド湖が近づいた渓谷の底にアルミのボートが引っ掛かっている。湖の雪解け増水で流されたんだろう。
 マーセド湖は谷を登りつめたところに現れた。ゆったりした森のトレイルから見る湖の向こう岸は氷河に削られ残った岩盤だ。カヤックを楽しんでる子供たちがいる。ヨセミテ国立公園のJMT付近には3つのハイシエラキャンプというテントキャビン村が作られ、人間のインパクトを限定しながらもできるだけ多くの人に自然の豊かさと大切さをしってもらおうと作られている。シャワーも食堂もある。
初日は、ベアーボックス(クマが人の食料を食べないようにと設けられた鉄の箱)の設置してあるこのマーセド湖キャンプサイトでテントを張った。標高2160m。斜光に光るアカマツの樹皮がきれいだ。


outlet of Merced Lake

campsite

HighSierraCamp

 持参した食糧は主に米(α米おこわ)。一日一パック。あとはカロリーメイトとパワーバー、スープ、味噌汁、木の実とレーズン、それに必須アミノ酸のサプリ。絶対にカロリーとタンパク質が不足している、とわかっていたが、軽量化のため決めてしまった。浅はかな人間だな。
夜は標高のわりに暖かかった。前回の経験から、クマの登場は覚悟していた。案の定、夜中に彼はやってきた。賢い彼はベアーボックスのカギを開けようと、しきりにガチャガチャやっていた。しかし、開かないのがわかっている彼は、しばらくしてどこかへ去っていった。人のテントから食べ物の匂いがしないから、そんなテントには見向きもしないようだ。9年前はまだベアキャニスター(携帯用食糧缶)が義務付けられておらず、あちこちでクマのテント襲撃事件が起こってた。カリフォルニアのクロクマはとても賢く、コクマを使ったり、肩車したりで従来の高い木に食料を吊るすカウンターバランス法を退けている。最近ではツメをコインの代わりに使って、クマ缶を開けたという例も報告されている。
私の新しいタイプのクマ缶は…私も開けるのに5分かかった。
深夜2時過ぎ、あまりの月の明るさに目が覚めた。まるでライトで照らされているみたい。ツェルトから顔を出すとほとんどまん丸のお月さまが、笑ってた。今回は、自然への順応が順調だ。


8月4日 Merced Lake >> Tuolumne Meadows >> Donaphue Pass >> Marie Lake Trail JCT      (第2日:23.2miles)
 月の明るさに目が覚めてから、寝返りばかりで眠れなかった。5時過ぎ、そそくさと起きだして、朝ごはんの準備に取り掛かり、メタクッカーに火を付ける…付かない。ケンにもらったバーナー式のガスライターがつかない。仕方なく、予備の百円ライターで火を付ける。一人なのでメタの火で十分。山ではラスのストーブ、という頭が消えなかったけど、これで十分用は足せる。意外だったなぁ。
干しただけの洗濯物も匂いがしないので、そのまま着て出発。
朝早いトレイルの向こうから何かがやってくる。蹄の音。レンジャーステーションから何頭もロバを引連れた女性がやってきた。ミュールトレインとここでは呼ばれている。荷物や道保全用資材の運搬もやる。さまざまな人たちが森の安全と人の安全を守っている。

 道はどんどんと登り、まだ高度に慣れていないせいで息が上がる。地図を見ながら進むが、どうも地形と地図が合わない…道を間違えたか?。持参した地図はJMTのもので、今回のこの部分は切れている。ガイドブックもそうだ。きれいなメドウに出た。標識にしたがってボーグルサング山へと向うも、地図とぜんぜん合わない。1時間ほど行ったり来たり。
覚悟を決めて標識に従いのぼり始めると、若者が降りてきた。道を確認すると…やはり地図外の部分があったのだ。安心して、3447mのボーゲルサング峠へと登る。高度が上がるに従い、谷の向うにある山が低くなる…するとその山の上に実は湖があるのが見えて来る。雪も年中解けない、つまり氷河の名残なんだろう。
峠を越えると、大きな湖が眼下に広がっている。快晴の空は目が痛くなるくらい青い、青い。氷河湖から吹き上げてくる風も青い気がする。下ってゆくと年を召したご夫婦が登ってこられた。挨拶をしながら、互いに写真を撮り合う。花もきれいに咲いてて、素晴らしい風景にしばし見とれていた。
 くだりに下って、この山のハイシエラキャンプで水をもらい、行動食をいろいろ食べながらトゥオラミ
メドウへと向かう。目の前に広い草原が広がり、エヴェリン湖が見える。こんな風景も地上にはあるんだなぁ、こんな思いをかさねるばかり。下りは森林へと入り、ひたすらスイッチバックを繰り返す。ほぼ50分ほどで、トゥオラミ川の支流ライエル谷に出た。JMTとのジャンクション…思い出した。9年前は初日にここでキャンプし、クマの来訪を受け、眠れずに暗いうちに出発したんだ。暗くて、なにも覚えていないトゥオラミメドウ。今回は光りがあふれて、金色の風が草原を吹きわたってゆく。
「夏は緑」という曲がある。ここの風景はこの曲そのものだ。作曲の服部克久さんは「自由の大地」のころからずっとファンだ。ドキュメンタリー「新世界紀行」のテーマだったこの曲は、自分の若い時期のがむしゃらな日々のテーマだ。番組の撮影クルーと過ごした8日間を思うと、今でも心が熱くなる。
あれから18年。いろんな思いが金色の草原を滲ませる。



outlet of EvelynLake

Lyell Cayon/TuolumneMeadows

Donaphue Pass

峠から下ってくるいろいろな人たちと言葉を交わしながら、上り、振り返ると、トゥオラミの谷はやっぱり緑だ。二階層、三階層と登りを重ねて行くと、最後の雪に囲まれた圏谷が現れる。それぞれの階層に湖とクリークとメドウがある。最後の峰が見えると、少し気が萎えそうになる。それくらい長いのぼりを連想させるが、実際のドナヒュー峠は反対の見えにくいところにあって、なんだか逆にがっかりしたりする。しかし、高度に慣れていない体で、一日に二度の3300〜3400m峠越えをするのはさすがに易しくはない。つい膝に手をやってしまう。なんのためにトレッキングポールを持ってきたのだろう、と思いながらも荷物を降ろすのが面倒くさくて、そのまま峠にたどり着いた。
峠から見る風景はそれまでの緑の谷とは一変し、岩だらけの岩峰の世界になっていた。風が強い。時刻ももう4時になっている。ヤッケを着て、一気に下る。早くテント場を見つけて、靴を脱ぎたい思いが体を前に引っ張る。600m下がると、日本庭園のような風景が広がっている。前回は、ここの草原と巨石の庭のにたどり着いたときに夜が明けて、テーブルのような大きな岩の上でカップルが抱き合って朝日を見てたのを思い出した。今回はずいぶん明るいけど、日が傾いていて(実際は傾いていないけど気持ちの中で)、なんとなく家路を急ぐ気分。規則どおり、水場とトレイルから30m程離れた岩陰に誰かが使った場所をみつけ、テントを張った。このところ毎日のように午後のストーム(夕立・雹)があると聞いてたが、今日もストームが来なくて安心した。なんせ、雨具はレスキューシートとハイパロンのズボンのみだから。
 食事をすませ、少し日暮れっぽくなってきた午後8時、寝袋にもぐり込んだ。標高は3000m以上。クマと蚊の心配はいらないけど、寒さが大丈夫かな…と思いつつ、眠った。
 深夜、今日もテントがめちゃくちゃ明るくなって目が覚めた。顔を出すと、まんまるお月さまが煌々と輝いてた。何とか写真を、と思ったけど難しい。この手のカメラ(デジカメ2眼)は操作が難しい。

8月5日 Marie Lake Trail JCT >> Reds Meadows >> Upper Crater Meadows     (第3日:21.6miles)

 時差もあり、でこぼこの寝床のせいもありで4時頃から寝返りを打ってばかり。5時過ぎに起きて、テントの外をのぞくと動物がいる。おはようと言うと逃げてった。氷河の岩場に住むマーモット。
ほの暗い中でお湯を沸かそうと外に出た。やや風があったので、ケニーが用意してくれたバーナーライターを着ける…火が着かない。ガスが切れた?でも充填してくれてたのに・・・と思いながら、百円ライターで点火。半分のおこわとカロリーメイトとスープの朝ごはん。これから毎日これだ。着替えもしてないし、体も洗ってない、もう嫌になってきてる。
 空を見上げると、リッター山脈のほうから黒い雲がやってくる。いやな予感に、ライター不発事件が重なり、加えて昨日履いてたソックスが短すぎてアキレス腱に肉刺ができてる。指など前足部のマメには慣れっこで、気にしないでいられるけれど、アキレス腱には炎症を起こしたいやな経験があるので、ちょっと不安。そんなこんなで、早めに出立。
早くレッドメドウの売店に行って、ケニーと日本に間違いなく歩いてることを連絡しないといけないという、気分。ヨセミテは意外に携帯が通じにくく(au携帯のせいか?)、マーセドに着いた日から連絡しないでいたので、気がせいている。
 歩きだしてすぐ、とても素敵なキャンプサイトがあった。団体さんでいっぱいだったけど、川のすぐ傍だよな〜と思い、ルールの運用はけっこうフレキシブルなのかも、と思い直した。バナーピークとリッター山が見える。JMT前半を象徴する絶景、サウザンド・アイランズ・レイクが近づいてる。見えた!。
カップルが岩に座って眺めている。「ここって素敵な場所だよね〜」と言いながら、写真を撮っていただいた。昨日から風景を見て何度泣いたことだろう。胸がいっぱいになるほど美しい風景にここ何年も出会ってなかった。氷河と風、岩と木が作り出した奇跡。自然は偉大な芸術家だ。この風景を作るナイフとなったのは氷河。ジョン・ミューアがアラスカに何度も氷河研究に足を運んだのは、このナイフの力に魅せられたからではないだろうか、ふとそう思った。この信じられないほど美しい風景を後世に残さなくてはいけないと、彼はきっと強く思ったんだろう。



Banner Peak, Mt.Ritter and Southand Island Lake

a family up from Johnston Mdw

after RedsMeadows
 ガーネット湖の水の色は格別に深く青い。釣りをしている親子がいる。駐車場からここまでは、上がってくるだけでも一泊以上かかる。釣りをするのは体力がいるんだ。ロザリー湖からの登り、数えられないスイッチバックを登り切り、降りてくる老年カップルにここの「スイッチバックばかりで嫌になりますよ」と言ったら、「知ってますよ」と返された。皆さん、覚悟の上だもの。ジョンストンメドウへの下り、どう見ても不良少年グループの更生ハイク風の団体が登ってくる。声を掛け合う。その中に同年代の教師風の人がいる。見るとWS100のTシャツを着ている。笑って、私のボトルを差し出すと、「おう、君も走ったのか!」と驚いてる。「そう、8回出たよ」「そりゃすごい」「仕事、がんばって」とエールの交換。次に出会ったのは、家族3代でのハイクグループ、孫は小学生だろう、でも恰好は一人前だ。

 長い下りの後、レッヅメドウのデビルズ・ポストパイル国立記念物にたどり着く。すごい人、人。みんな観光客だ。急いで、売店のあるレッズメドウ・リゾートに駆け上がる。アイスクリームをどうしても食べたかったのだ。午後3時前、標高が2200mまで下がったために、とても暑くなって、冷たいものが食べたかった。それに、どうも携帯も通じるらしいのでケニーと日本の妻に電話を入れる。
 1時間ほどあれこれやって、再びトレイルに帰る。5時くらいまでは歩こうと決めているので、もう十年も前の山火事で燃えてしまった山へと登りだす。厳しい自然条件だと、一度焼けると元の姿にもどるにはきっと二桁三桁の時間が必要なのだろう。
 地図を見ながら、本日の宿泊場所を探す。旧道に入ってしまったせいか、どうも地図と合わない。古い標識を頼りに、クレーターレイクメドウの上部でテントを張った。この先の道は踏み跡が細い。間違っているとは思わないが、不安だ。20年前のガイドブックには正しい道だと載っている。まぁ、だいじょうぶだろうと、自分を安心させた。
しかし、テント場はものすごい蚊だった。服の上から、隙間から、ガンガン刺してくる。うっとうしいので、服にも体にも顔にも、虫よけスプレーを直接かけてやった。
さすがに、今日は体を洗いたい、パンツも洗いたい、とクリークに足を入れると、切れるほど冷たい。洗濯物を絞ってる間に、手がしびれてくる。が、思い切ってバシャバシャと体を洗った。もちろん石鹸などなしだ。足も洗う。アキレス腱のマメはバンドエイドでなんとなく大丈夫だろう。
 飽きてたはずの食事もなんとなく慣れてきた。「おこわ」だけでもけっこうおいしいものなんだ。アイスクリームを食べられたせいか、やる気も戻ってきた。
今夜はきっとクマのお出ましだろうなぁ、と覚悟を決めて寝袋に入った。薄いテントの天井を見ながら、「危険を感じないで毎日安全に暮らせる、きれいな家で眠る、食べたいものが食べられる、風呂に入れる」…そんな当たり前のことが、ほんとうは当たり前ではなく、とてもありがたいことなのだと、しみじみ感じている。
 夜中、また目が覚めた。とても明るい。周りは背の高い大木ばかりなのに、木漏れ陽みたいに満月の光が降り注いでる。小さいテントなので、ジッパーを開くと顔が覗いてしまう。

8月6日 Mammouth Pass Trail JCT >> Edison Lake Trail JCT      (第4日:24.7miles)
明 明け方近くになって、風が強くなった。テントが顔にくっつきそうだ。木に干した洗濯物が飛んだかも・・・と思いながら、のそのそと起きだす。洗濯物はだいじょうぶ。それに、残念ながらクマも来なかった。
朝のルーティンワーク。コンロに火をつけ、着替え、テントを片付け、マットの空気を抜き、座る。あらかた沸いた湯を「おこわ」の袋に流し込んで、ダウンのポケットに入れる。カメラの電池を温める。コーヒーにもお湯を注いで、空を見上げながらまた地図に目をやる。一日のルートを確認…今日はカスケードバレー沿いの長いトラバースと、シルバー峠を越えて、エジソンレイクトレイルとのジャンクションまで、24.7マイル。慣れてくると、おこわの素朴な味が妙においしい。みそ汁もうまい。食事とは本来こういうものではないのか、そう感じてしまう。好きなもの、欲しいものだけを食べる生活に慣れてしまうと、主食のもつ意味を忘れてしまうのかもしれないな。
 歩きだす前に、先日の失敗を振り返る。ソックスに石が入って悩んだ。キネシオ用テープを持ってきていたのに気がつき、ソックスの上縁(足首部)をテープで止め石が入らないようにした。

 歩きだすと、しばらくして大きなトレイルに出た。新しいJMT。やっぱり旧道に入ってたらしい。なだらかな登りで鞍部を超える。ディアクリークで、荷物のパッキングをしている人にで会い、軽く手を上げる。今日は何人に出会うんだろう。
 なだらかな斜面をトラバースするように進むと、カスケードバレーを挟んだ向こうに鋸のような峰が連なっている。地図の上ではダック・レイク・パスとの分かれ道まで5マイル以上ある。斜面につけられたトレイルはミュール・トレインの落し物(ロバの糞)が粉のように分解されて、砂地のようにさえ思える。が時々、真新しい匂う糞を目にすると砂ではなくて糞の粉であることを実感する。人間がするときは、トレイルからも水源からも離れて、分解されやすい紙を使用することが求められているけれど、ロバや馬の糞は垂れ流しである。
 長い斜面のトラバースが終わり、尾根を回り込み、谷へへと進んで行くと、正面に大きな岩壁が迫ってくる。沢を渡ると、数頭のロバと馬と人が休んでいる。パークレンジャーとミュール・トレインだ。手を挙げ、挨拶すると、パークレンジャーがやってくる。「今夜は冷えこむよ、3000m以上のところは雪になるよ」という情報を教えてくれた。おいおい、そりゃ困る。今日は早めに峠を越えて、エジソンレイク手前でテントにしよう。


hikers after Duck Pass Trail

two dogs and hikers

a glacier stone
 上ってゆくと、日本人が休んでいる。東京からやってきた@@さんだ。少し話をしていると、同じ浄水器を持っている。どうも同じ店で購入したらしい。@@さんもパークレンジャーから雪注意報を聞いたらしい。あれこれ話してると、女性が追い付いてきた。どうも彼とは知り合いらしい。「今日はどこで休むの?」「雪になるって話だよ」とまた情報交換。私はちょっと先までなので、失礼した。
 目の前の険しい岩峰をぐるっと巻いて登ってゆく。激しい崩壊を見せている岩峰。道はまた森の中へと足下って行く。湖が目に入ると、反対方向から犬がやってくる。おお、またかわいいパックを背負っているのが、2匹も。「かわいい犬ですね」と声をかけると、「とても元気だろ」と笑っておられた。パープルレイクで絵を描いておられたそうだ。
パープルレイクはきれいな湖だ。半分は森に囲まれ、残りは崩壊する岩山に囲まれている。湖の流れ出す沢をまたいで、道は再び登りとなり、目の前の二つの岩峰の間へ入ってゆく。次に現れたのは、広いレーク・バージニア。ちょうどお昼で、美しい草原と湖の風景の中で、カップルが昼食を食べていた。私は、なんとなく雲行きが気になり、残った距離も気になって、木の実とレーズンの行動食を本当に歩きながら食べ続けていた。
 タリーホールへの下りはスイッチバック。はるか真下に見えるメドウに向かって、勘定できないくらい道が折り返している。下るに従い、気温も上昇してゆく…と、ダブルスティックでキャメルバッグのみ背負ったランナーが歩いてくるのが見えた。この時間に、ここということは、先のVVR(バーミリオン・バレー・リゾート)からやってきたのかな?足でもひねったら、雪に巻かれるぞぉ、と思いながらやり過ごした。私でも、やはり場違いな印象を持ってしまう。
 前回、このあたりでテントを張った記憶があった。見まわすと、見覚えのある景色に、「ここってものすごい蚊があいたよな」と思いだした。10年前、高い木の枝にかけたままの回収できなかったロープは、もうなかった。
 シルバーパスへの登り。記憶ではそれほどひどいものではなかった。しかし、現実にはあそこまで登れば…と思うと、その先にまた登りが広がる、ということの繰り返しに、先を急ぐ気分が相まって、徐々にストレスを感じてしまう。おまけに標高も高く、体が重く感じるようになり、加えて、雪までちらほらし始めた。峠の手前のスコーレイクは風景がいいので、ここでキャンプする人多い。シルバーパスの頂上には雪も残っており、吹き付けてくる雪もけっこう多い。直下にとってもきれいな湖があるが、カメラを出す気もなくて、ヤッケを着こんで、ひたすら下っていった。峠から下は細長い谷のようなベースンになっていて、風が正面からまともに吹きつけてくる。フリースの一枚でも欲しい気分だが、着替える余裕がなくてただひたすら下った。長い下りを終え、アスペンの林に入ったら、ほっとした。装備の軽量化のため寒さ対策を重視しなかった、という不安が余裕を奪っている。どうも、いかんな。と、反省しつつテントを張った。なんとなく余裕がない。
 JMTを歩く人の多くが立ち寄るVVRという施設がある。トーマスエジソン湖というバナナのような形をした湖の東の端が、今夜のキャンプ地の近く。西の端にVVRがあり、東西は日に2本の渡し船が運行されている。だからこのキャンプ場はにぎわっている。食事の準備を済ませて、ぼうっとしてると、娘さんが話しかけてきた。「ホイットニーからやってきたの、もう7なんとなく終わり感じるわ」「んーん、そうだろうね。私はこれから高い峠をいっぱい登らないといけない」「大丈夫、大したことないわ、ホイットニー以外は」という会話。話す彼女の瞳が輝いている。!そう、せっかく、こんな遠くまで来ているのに、楽しまないでどうする、と改めて反省。
心の持ちようで、美しさも楽しさも半分にも倍にもなるものだ。
 でも、夜はとても寒かった。ツェルトの底からどんどん冷えてくる。呼気でテントの内側が凍っていた。


8月7日 Edison Lake Trail JCT >> Muir Trail Ranch      (第5日:20.1miles)
 夜はとても寒かった。ツェルトの底からどんどん冷えてくる。
夜中、寒さにたまらずレスキューシートを取り出し、寝袋にかけた。寝袋が濡れるのがいやだったが、眠れなかったのでしかたない。おかげで明け方までぐっすり眠れた。ずいぶんと効果があるものだ。起きると呼気でテントの内側が凍っていた。
 夜は不思議なものだ。楽観的な「一時の若さに似た高揚感」を鎮めてくれる。悲観的に考える時間をくれると、言い換えてもいいかもしれない。もう少し厚手のシュラフにすればよかった、マットくらい持ってくればよかった、このまま4000m超の峠に突っ込んで大丈夫か、雨が降ったらどうする…一度目覚めると寝ないで考え続ける材料はいくらでもある。
でも、不思議なものだ。明るくなると、そんな悲観的な考えは周囲の明るさが増すのと同じ速さで消えてゆく。

 お湯を沸かし、日がさしてきたので寝袋とテントをブッシュにかけて乾かした。食後、パッキングしようとしたら…テントも濡れてた寝袋も凍ってた。まあ、仕方ない。今夜乾かそう、とザックに詰め込んだ。
 今日はいきなり2000ftの登り、その後川沿いに徐々に登って行き、セルダン峠(3200m)を越えたら、後半の食料を預けているミューア・トレイル・ランチで、一泊だ。普通の食事が食べられる。風呂に入れる。洗濯もできる。ちょっとうれしい気分、変な表現だけど、遠足に行ける♪というような。

 歩きだすとベアーリッジ頂上まで一気の登り。1時間ほどでほぼ平坦になり、すこし拍子抜け。長い下りの後、ベアークリークにたどり着いた。明るくて、広くて、なんとなく嬉しくなる川沿いの道だ。広い川原には焚き火の跡があちこちにあり、テントやイスを置いたまま釣りや岩登りに出かけている人もいる。岩の形、枯木の根、草の模様。自然の作り出す造形は豊かでアバンギャルドだな、と思ってたら、賑やかな女性たちに会った。岩の上で洗濯物を干しながら談笑している。私も、天気もいいしテントとシュラフを乾かそう、と荷物を広げた。行動食の木の実を奨めながら、女性たちに「その四角い枠は何?」と尋ねた。「これは人を図る定規なのよ」と笑っている。「??」と首をかしげてると、「嘘、これはデザインを決めるためのフレーム」という返事。岩や石、木や草のうえに置いて、写真を撮り、それをデザインとして利用するという。「自然は偉大なデザイナーだものね〜」というと、「こういうのもいいでしょう」と通りかかったハイカーを入れて、三人で笑顔。でも3週間もこの川沿いで過ごしてるなんて…ラテン系だなあ、と納得するしかなかった。
 JMTで迷い安いのは開けた場所だ。とくに大きな岩板が続く川原やベースンなどトレイルを見失ってしまうことがある。トレイルに戻ったと思うと、別のトレイルであることも。ここベアクリークもそう、景色を見ていて、二度道を見失い、一度は違うトレイルに足を踏み入れてしまった。
 セルダン峠に向かっての上りが始まる。しばらくすると、きれいなメドウに出る。大きな山の間へとトレイルが続いていて、似たような見飽きた風景なのに、何度でも心を揺り動かされるのはなぜなんだろう。
 道が平坦になるとマリー湖にたどり着いたのがわかる。マリー湖はセルダン峠の下にある氷河湖。風がなく、青空が湖面に映って美しい。遠くには越えてきただろう山々が見える。水面の高さに地平線があるように錯覚してしまう。湖畔のトレイル脇には背丈ほどのホワイトバークパインが点在している。この松とフォックステイルパインとは分布がよく重複している。森林限界を形成しているのはこの2種。どちらもとても成長が遅く、いわゆる五葉の松で、たった手首くらいの太さにも関わらず年輪は数え切れなかった(30や40年ではない)。樹皮が白いのがホワイトバーク(白皮)で、葉が短くぎっしり生えているのがフォックステールだ、と教わった。私が手にしている木ですら江戸時代生まれのものなのかもしれない。


girls from Italy

white bark pine

Sallie Keyes twin Lakes
 峠を越えるとハート湖、その向こうの谷がサン・オーキン川。シエラを代表する3つの川の一つ。もう少しでお風呂!という気持ちが足取りを軽くする。ハート湖から流れ出る沢にそって下るとまた大きな双子の湖、サリーキー湖が目に入った。二つの肺のような形をしている。トレイルはこの双子湖の間を通っている。二つを繋ぐ川はほんの少し(30cm)くらいの滝になっていて、微妙に水面の高さが違うのがわかる。このあたり、上ってくる軽装ハイカーによく合うようになってきた。下の牧場の宿泊客らしい。じっとしている人が二人いるので、視線の先を見ると…鹿がいる。ミュール鹿らしい。私はけっこう鹿にはなれっこになってたが、立ち止まり、息を殺して見た。やっぱり野生動物には魅かれるものがある。

 高度感のあるスイッチバックを繰り返し、ヤマナラシの林に入り、ミューアトレイルランチに到着。
柵を苦労してくぐって、鐘を叩くと、元気なお母さんが聞いてきた。
「いらっしゃい!何かいる?」 「ビール!」 「はは、ごめんなさい。ここにはビールも電話もないのよ」と笑ってる。
日本から送った荷物を受け取る…蔵があってその中は、ハイカーの預けた荷物で満杯だ。一個50ドルだから…何百万円じゃないか!。驚きだった。今日はここの客。案内された一泊110ドルのテントキャビンは、板で作った小屋だった。しかも戸はなくてカーテン、窓もなくてカーテン、ものすごく風通しがよく、ベッドも素朴、野趣あふれる…一泊110ドル。ショックだった。しかし2食付きだ!と気を取り直して、シャワーに向かった。しかし期待は見事に裏切られた。
案内されたシャワーは、なんと露天風呂だった。それも日本的な美がある。有頂天になって昼間の湯を楽しんだ。風呂から上がると、ほかの客がビールを飲んでる。怪訝な顔をすると、「やるかい?」と聞いてくる。思わず笑いがこぼれた。
「はは、世界中YESは一緒だ!」とビールを「奢って」くれた。

話をしてるうちに、彼らがもう2週間ここに滞在しているサンディエゴからの小学生グループの家族だと知った。素晴らしい体験だろうな。
「一泊は高いけど、3食付いてて、ディナーはすごいぜ!」という。ディナーになって驚いた、すごい量で、おいしい。
彼らと飲み、食べ、大きなもり上がりになって、「来年はここで会おう!」と約束までしてしまった。
 ベッドは・・・ダニがいたようだったので、寝袋で寝た。安眠した。


ware house

on-sen

at Muir Trail Ranch
8月8日 Muir Trail Ranch >> after Muir Pass mile 130      (第6日:24.1miles)
 朝、いつもどおり5時半頃に目覚め、パッキング。昨夜の洗濯物は生乾き。ソックスとパンツをザックにくくりつけて、食堂へ向かった。朝食は7時からといわれてたけど、小屋を出てぶらぶらと歩いて行くと、牧場入口の方の道を黒いものが横切ってる。?と思ってメガネを取り出して見ると、小熊!。馬がいるから、牧場には入って来ないと言われてたけど、近くに母親がいると思うと、走って食堂へ逃げた。もう食堂は開いてたので、「入口にコグマはいたよ」というと、娘さんが「私も見かけたから、今その話をしてた」という。
牧場の元気なお母さんは、にこにこ笑ってた。

朝食は…値段どおり、いや一流ホテル並の豊富さと味。ターキーサンドがとてもおいしかったので、昼食と行動食に2ついただき、リンゴも一個ザックに放り込んだ。パックのジュースや牛乳・豆乳まであったけど、重くなるので断念。ヨーグルトも果物も、これでまたしばらくの間、山を下りるまでは食べ納めだ。そう思うと、口が後ろ髪をひかれそうだ。
 サンディエゴ・ファミリーに「じゃあ、行きます」というと、「いい旅をね」「来年の夏は必ずここで会おうぜ」と言われ、「もちろん!」と答えて外に出た。
小熊を見かけた道…しばらく走った。ザックはずいぶんと重くなって、新しいソックスも気持ちよくて、昼食のサンドイッチもリンゴもあって、まるでスキップしたい気分だった。
 サン・オーキン川に合流するところに出る、エボルーションバレーまで、しばらくこの川沿いに遡って行く。広くなったところにまだ眠ってるテントがある、起きて焚き火をしているハイカーもいる。手をあげて通り過ぎ、「1時間ほど前、コグマを2頭見たよ」と声をかけた。「どこで?」「牧場の上」「母親には会わなかった?」「会わなかった、気をつけて」「俺らも会いたくないなぁ」、と会話。
 川沿いのトレイル。大きな倒木がある。ネジのようにらせん状にねじられてる。枝も丁寧にネジネジだ。吹き続ける強風が枝を回し、幹をねじっている。木は何百年もねじられ続け、最後に力尽きて倒れて行くのだろう。木の名はフォックステールパイン。ポンデローサやシエラビャクシンほど厚くない樹皮は、もう何十年〜何百年か前に風に吹き飛ばされている。もう彼は何百年もここに横たわっているんだろう。
自然という大きな流れの中に、自分がいることが当たり前に感じられる。自分もこの一部なんだと、体が感じている。
 そう思うと、あたりに立っている木々がとてもいとおしく思えてくる。彼らはなんとたくましいのだろう。太陽に照らされ、雪にも吹き付けられ、風にもねじられても、ただ立っている。
「勇気とはこういうものか」そう感じる。
夜の寒さや不安に、心は弱気になって行く。でも夜が明け、朝の光に輝く木々を見ていると、勇気が湧いてくる。
ピュイット川の合流点から、谷はアスペンのメドウへ入ってゆく。ハーブ・ブッシュの中に、鹿の親子がいた。立ち止まって息を殺し、そうっとカメラを取り出す。去って行く鹿の親子。逃げ出さず、じっとこちらを見てたのは、自分を自然の中の生き物として認めてくれたからだろうか。そうなら、うれしいものだ。マーモットも石の上で鳴いている。



deer on harbal meadow

hikers

Muir Hat

moon and ridge
 サンオーキン川と別れ、エボリューションバレーへと登る道へと入る。向こうから数人の団体がやってくる。大きな荷物とダブルストック。軽い荷物の自分が申し訳ない気持ちになる。
エボリューションメドウに着く。橋がない。前回は大きな丸木橋があった…はずなのに。100ft程の川の向こうで、ハイカーが足を洗ってる。諦めて靴を脱ぐ、新品のソックスを脱ごうか…いや、ソックスは脱げない。しばらく悩んだ。ソックスまで脱ぐとあまり痛そうなので、やめた。新品のソックスは渡り切る前の川底の泥で真っ黒になってしまった。
諦めににた気分で、真黒なソックスを洗う…これは違反か、いやすぐそこの川底のだから大丈夫だ、と言い逃れて、ザックに縛ってたソックスと交換。さっきまでスキップしたいくらいだった気分なのに、少し凹んでいる自分に苦笑する。
 マクルーアメドウはトゥオラミメドウと並ぶくらい大きい。広々としたメドウにはいくつもキャンプサイトがあって、レンジャーのキャンプもある。遠くにこれから登るミューア峠(らしい)山並が見える。「遠いなぁ…」と一瞬思う。でも、すぐ「歩いているといつの間にかたどり着くから不思議なんだよな」と。
 辛抱、辛抱と歌を歌いながら、スイッチバックを登る。地図のカーブを追いながら、「おお、意外に楽チンじゃないか」と思っているとゴッダード谷へと登りあがった。大きなエボリューション湖を高巻きし、サファイア湖を見下ろしながら、どんどんミューア峠へ登ってゆく。ジョンミューアの娘の名前がついたワンダ湖のアウトレットで水を作る。ワンダ湖畔を歩いているとカエルをいっぱい見かける。こんなところにカエルがいっぱいいるんだなぁ、と感心してると、蚊がいっぱいまとわりついてくる。3400mを越えてるのに、なんで蚊がいるんだ、といぶかしく思った。でも蚊がいるから、カエルがいるんだ、とは納得した。あとで聞いたことだが、このカエルには毒があるそうで、食べてはいけないと、教えられた。誰が食べるか!
 もう少しでミューア峠だ。前回、9年前にはここで血を吐いてしまったことを思い出した。
胃潰瘍を薬で治してたはずなのにクマのストレスも続き、気圧の低いここにきて、ついに爆発してしまった。気分が悪くて、足も動かなくなり、夕暮れにミューア・ハットに逃げ込んだ。苦い記憶だ。
今年は違った。快調!元気そのもの、アキレス腱は痛いけど、大したことはない。と、一気に峠に登り、石の小屋の戸口に立った。思わず、「あの時は助かりました、ありがとうございました」と、戸に向かって礼をした。
 再び、いい気分で下り始め、キャンプ地に決めてた128mile地点でテントを張った。峠のこちら側は山が赤い。鉄分の多い岩質なんだろう。水も鉄の匂いがするかも、と水を作ろうとフィルターを取り出し…?、フィルターがない。ザックの中も探す。ない…。
あ、さっきワンダ湖で水を作ったとき、ザックに縛るのを忘れたんだ。前回のことにたそがれてるから、こんなミスをするんだ。と自分のバカさを嘆いた。溜息をついて、気持ちを切り替えようとコーヒーを入れることにし、流れの水を汲みに行った。
味噌汁を飲みながら、心を整理。次に来たのは不安。フィルターなしで行けるの…?
ちょうど通りかかった歩きなれた感じの、きれいな娘さんに、尋ねた。
「フィルターなくしたんだけど、直接のんでも大丈夫かなぁ」
「大丈夫な人はけっこういるみたい、注意すれば大丈夫なんじゃない?」
不思議なもので、「なんだ、けっこう大丈夫かも」と、開き直ってしまった。一人の山旅、いろいろある。
くさらず、いじけず、怒らず、逃げ出さず、夜の弱気も、朝陽が元気にしてくれる。
19:00 日本時間は8月9日午前11時。長崎原爆忌。長崎の人たちは祈っておられるだろう。私も祈ろう。

 今夜からふたたび、赤飯と味噌汁とスープの毎日。うんざり…しない。けっこうおいしい。ただの赤飯がおいしい。木の実もレーズンもおいしい。カロリーメイトもおいしいし、味噌汁もおいしい。なんでおいしいんだろうと、悩みながら眠った。
山の向こうから黒い雲が広がってるのが気になったが、だいじょうぶ!と根拠のない確信が、ぐっすり眠らせてくれた。


8月9日 after Muir Pass mile 130  >> Upper Palisade Lake      (第7日:17.5miles)

 朝、目が覚めてテントのファスナーを開けると、快晴。ブルーグレーの未明の空に月が煌々と輝いてた。標高のわりに、冷え込むこともなく、雨にもならなくてよかった。生水飲んだけれど、お腹も下痢とかしていない。でも、今日から5日間、生水を飲み続けることを考えると、やはり不安になる。
 毎朝晩、めでたいお赤飯をいただき、今日もめでたいことがありますように…と祈って、味噌汁を啜り、木の実と干しブドウをいただくことに、なんとなく喜びさえ感じるようになっている。

 昨日、ミューアトレイルランチで「一昨日、日本人の娘さんが来てたよ」と言われた。東京のアウトドアショップ”Hiker'sDepo”のウェブサイトに、「この夏も数人の日本人がスルーハイクに行く」と書いてあったのを思い出した。同時に、Hiker'sDepoで買ったばかりの、浄水器を置き忘れた…と気がついた。まぁ、もう済んだことだ。今日はル・コンテ谷からメイサー峠の下までの約17マイル。今日からはゆっくりと楽しみながら歩けそうだ。
 朝日の中を下りだす。岩が朝日に光っている。磨かれた鏡のよう。氷河の力の偉大さに、立ち止まって見入ってしまう。磨かれた岩盤の上にちょこんと乗った丸い岩。その絶妙なバランスに、氷河という芸術家の繊細さに、溜息が出る。下って行く谷はきれいなU字圏谷。ここも何万年か前は氷で埋め尽くされていた、そう思うとやはり足が止まってしまう。このル・コンテ谷はジョンミューアの盟友、ジョセフ・ル・コンテの名が付いている。JMTに残された地名には、20世紀初めの自然保護運動や当時の著名人の名が残されていることが多い。
 谷を下って行くと、ねじ倒されたようなフォックステイルパインの株が不思議な造形をなしていて、時々、目を奪われる。ル・コンテ谷はヨセミテ渓谷の縮小版のようだ。

 ル・コンテ・レンジャーステイションでは、多くのハイカーが出発の準備をしていた。レンジャーステイションも、小屋がある場合もあれば、空地である場合もある。ここはみんなのキャンプ地になっている。「おはよう、調子はどう?」と声をかけると、「あなたさっき通った日本人女性の知り合い?」と聞かれた。あらら、すぐ近くに日本人がいるんだ、と思うとなんとなく嬉しくなる。
 前回、ここのトレイル分岐からビショップの町の病院になんとかたどり着いたことを思い出した。とても厳しい峠だった。一日で越えられず、峠でビバークし、朝になるとボトルの水が凍ってたことを思い出した。感慨だ。


polished rock by glacier

Le Conte Ranger Station

to Mather Pass
 キングス川沿いの長い道は細かいアップダウンと岩だらけのトレイル。野生ハーブの野原のように見えるところもある。鹿はこんな場所が好きなのか、昨日に続いて、今日も登場してくれた。
 ここで日本人女性のジュンコさんに追いついた。久しぶりの日本語会話はけっこう嬉しいものだ。あれこれ話を聞いてると、彼女はトゥオルミメドウで雹に見舞われたらしい。前回、やはりあのあたりを通りかかったとき、前日の雹が雪のように残っていたことを思い出した。彼女は靴が重登山靴でないため、ずぶぬれになって、雹が当たって痛くて、大変だったそうだ。私はもっと軽装備なので、私だったら…と思うと、唸ってしまった。
 今日のキャンプ地は彼女も同じパリセイド湖ということで、「ではパリセイドで会いましょう」と、別れた。グロウズメドウを過ぎ、キングス川から分かれ、パリセイドクリークに沿って、徐々に登りが始まる。対岸のピークから滝が流れ落ちている。高度感が増す中、森が切れ、目指す峠らしき山々とその間から流れだしている滝が見えてくる。この先には厳しい登りで有名な”Golden Starircase”がある。このために持参したストックを取り出し、川沿いに、滝を横目に登って行った。
ほどなく、どこに道があるのだろう、というような岩壁が目に入ると、その岩壁に刻まれたスイッチバックを下りてくるハイカーが目に入った。さてどのくらいの登りなんだろう、と期待した。もうずいぶんと高度に慣れ、きついと思うような上りがなくなっていたので、けっこう強気になっている。
厳しい日差しの中をスイッチバックして行く。時折、風が吹き上げてくる。その風に乗って、ハーブの香りも一緒にやってくる。千畳敷カールからの登りを思わせる岩だらけの道は、上りが終わったようでなかなか終わらない。
やっと、なだらかになると、ロウアー・パリセイド湖が見えた。釣りをしてる人がいる。カメラを出していると、なんと釣り上げた。けっこう大きなマス…ゴールデントラウトだそうだ。声をかけた。
「やぁ、釣り上げたね!」
「そこに見えてるし意外と簡単だよ」
「どう料理するの?」
「ここは10000ft超えてるから、塩焼きは無理。(ガスで)フライパンで焼くしかないかな」
「その下にハーブがいっぱい生えてるよ」
そんな会話を交わしながら、次回は釣り具を必ず持って来ようと思った。

 パリセイド湖沿いのトレイルはけっこうアップダウンがある。細長い二つの湖は谷が堰きとめられたもので、両岸ではまだ崩落が続いているからだろう。ゆっくりスタートしたわりに、早い時間(2時半)にキャンプ地に到着。広そうだ。テントを張って、選択を済ませ、体を洗う。冷たい水だぁ。
のんびり、日記を書きながらコーヒーを飲んでいると近所のテントの家族が帰ってきた。両親と娘さんなんだろう。ちょっと娘さんが構えていた。汚いジャパニーズだと思ったのかな。愛想しても固い感じの家族だ。意外な展開に、ちょっと間を取った。


fish on !

Palisaide Lake and Mather Pas

Ms. Junko
 ジュンコさんが到着。「そのあたりとかけっこういいテントサイトですよ」と勧めた。彼女がそこにテントを張ろうとすると、件の家族の父らしき人が「だめだ、ここにお前が来るとプライバシーがなくなる。ほかにいっぱいあるだろう、よそに行け」という。「こんな場所でそれはないだろう」と思いながらも、彼の言い方には強い拒否反応があって、「では向こうで探しましょう」と移動、私も移動。もしかしたら、この国の開拓の歴史の中の「土地は先に囲い込んだ人のもの」という感覚もあるのかもしれない。
 (あとで感じたことだが、日本人とアメリカ人では人間間の距離感が違うのだろう。帰りの空港で5人掛けのベンチの端に座っていた時、ひとりの女性が「ここに座ってもいいか?」と聞いてきたので、「もちろん」と答えると、反対の端に座った。日本では声もかけず当たり前のように座るだろう)

 久しぶりの日本語会話にけっこう日が暮れるころまで話をさせてもらった。彼女はアメリカの公園なも含めていろいろな場所を歩いて旅した経験があるという。JMTも「想像してたよりずっと楽ちんで、楽しい」ということだ。たくましい人だなぁ、とオジサンは感心した。二人とも、三鷹の”Hiker'sDepos”
にいろいろアドバイスいただいてた。
 私は空模様がちょっと気になった。彼女は最初に自然の洗礼を受けているせいか、落ちついてるように見えた。ハンググライダー、アメリカ一周バスの旅、ホワイトサンド・・・いろいろ旅をしている人で、たくましく見えた。

8月10日 Upper Lake >> Woods Creek Bridge      (第8日:20.5miles)
 深夜、あまりの明るさに目が覚めた。峠も湖もとてもきれいに光ってた。テントから出て、しばらく見とれた。
朝、いつもの通り目が覚めて、いつもの通りおめでたいお赤飯をいただいて、テント片付けしていると、お隣さんが起きてこられた。彼女は食料が余ってると言って、ジャーキー類を下さった。私がたんぱく源を持ってきてないのでずいぶん痩せたと言ったので、分けてくださったんだろう。ありがたくいただいた。
 今日は、メイサー峠とピンショー峠、二つの3000m越えがあるので、ちょっと気合いを入れて出発。地図を確認。あら?地図がない、ない、ない…。テン場に引き返し、探すも…ない。顔を洗ったときに川に落としてしまったのだろう。
まただ、落し物。幸い、詳しいガイドブックがあったので、ページをちぎってポケットに入れた。

 一つ目のメイサー峠は3630m。富士山に近い高さ。キャンプ地から約3マイル。歩きだして10分。昨日の家族が休んでいる。元気のよかったお父さん、とても苦しそうに見えた。みんな元気がない。まだ高度に慣れていないみたいで、ちょっとかわいそうに思えて、笑顔で「マイペースでね」と、通り過ぎた。でも、笑顔が笑ったように見えはしなかったろうか、と不安になった。高度に慣れてないのはつらいものだから。
 メイサー峠には一時間と少しで到着。意外と早くて、振り返ってみてもさほどの高度感はなかった。ほぼ300m程の高度差だから。峠の向こうには、今まで見たことのない風景が広がってた。谷も大きな湖もあるわけでなく、ただ大きな岩板が広がってるように見えた。なんて大きな広場なんだろう。むやみに広くて何もない。地図を見ると”Upper Bassin” とある。昨日下ったキングス川は中支流、峠のこちら側は南支流。つまりキングス川南支流の上流高地という意味らしい。二つの支流に挟まれたこの山塊はモナーク(支配者)という名前がついている。キングという名の川がその由来らしい。
それにしても、なんと大きな岩の塊というか板というか…氷河ですら削れなかった固い岩の板なんだ。
 ここで、韓国からの二人連れハイカーに追いついた。彼らはLA在住の商社マンだという。もう20日近く歩いているらしい。韓国ビジネスマンも米国勤務だとけっこう時間が自由になるそうだ。写真を撮ってもらった。
 ただひたすら岩の上を歩く、歩く、下る、下って行く。だんだん気温が高くなってくる。目の前に次の峠のある山、ピンショー山が見える。この川沿いの道は長かったが、樹林帯に入ってからは、驚くほどたくさんの花(スイセン?)の群生地が続いてる。峠から二時間。今日の最低地点のキングス川を渡ると、看板があった「メイサー峠まで4マイル、ピンショー峠まで4マイル」・・・嘘だよ。二時間下って4マイルなんて絶対にない。
気を取り直して4マイル登る・・・ピンショー峠に到着。2時間。やっぱりおかしい。
 上りですれ違った白いひげのおじいさん、モノ湖からぐるっと一周500マイルの途中だという。
マジョリー湖で出会った、フィリピン生まれの青年と二人で昼食した。古いオリンパスの35mm一眼レフはガムテープで補修してた彼。
「どこから?」と聞くと、
「生まれか?住所か?」と身構えた(ように見えた)。
まずいか、と思って「学生?」と言いなおしたら、
「フィリピンで生まれて、今はLAで学生をやっている」と答えた。
なんとなく気まずくなって、「きれいな湖だよね」と目を湖に向けると、カップルがご飯を食べてた。
沢の水を直接飲む私。浄水器で水を作る彼。複雑な気分を笑顔で隠して、「じゃぁ、いい旅を」と別れた。
 ピンショー峠の名は、ジョンミューアとヘチヘッチーダムの建設で争った森林局長官の名前から来ている。自然は国民の生活のための資産とする彼と、国民の守るべき財産とするミューアは、ダムの建設を巡って、激しく対立し、結局、サンフランシスコ市民の利益のために国立公園内にダムを作るという決定がなされ、ミューアは失意のうちにこの世を去ったという。人間は100年後の今も、同じ問題を繰り返しているような気がする。
 ピンショーの「自然は利用すべきもの」という考えは、彼がまなんだあヨーロッパの当時の潮流に根ざしているのだろう。このころのヨーロッパ、特にドイツ・スイスでは、自然を開発し観光資源とする政策がとられていた。スイスでは氷河鉄道や氷河急行など、現在では世界遺産に指定されている施設が相次いで作られ、自然を利用していった。現在でも、ヨーロッパの自然は人間の手が加わり利用されているものであり、アメリカのそれは守るべきものを公有化し利用を制限するものである。
基本にあるものは、あまりに異なっている。その意味で、ジョンミューアの存在がいかにアメリカで大きな意義を持っているか、創造できると思う。

ピンショー峠で、花の写真を撮っている人に会った。私も写真を撮っていた。お互いの写真を撮り合って、別れた。
 峠の反対側は、ひどく赤い山々が並んでいた。鉄の山のよう。午後の谷の下りは、暑くて、日差しも強くて、谷も生気がなくて、なんとなく死んだような谷に思えた。長い長い谷の下り。歩くハイカーもかなり疲れて見えて、いたるところで休んだり、寝てたりする。「このう雰囲気はなぜなんだろう?」とずっと考えてたけれど、わからなかった。
ウッズ川にかかる吊橋を渡って、キャンプ地に辿りついたら、そこはボーイスカウトの団体でとっても賑やかだった。この吊橋、ちょっと怖い。吊り板と言ったほうがいいか、幅が20cm程の板にワイヤーの手すりが付いてるというしろもの。揺れてふらりふらり、スリル満点だった。

upper Basin

lovers at Lake Marjorie

Boy Scout at Woods creek
テントを張っていると、ボーイスカウトのリーダーらしき人がやってきた。
「そのテント、とても軽そうだね」
「そう、半ポンドだよ」
「え!クールだね」
「ただ6フィートしかないから、顔が出るんだよ」
「私なら大丈夫だナ」
彼は、私より小柄だった。
ご飯を作ろうと、火をつけようとすると、なんとライターがほとんど空。マッチはないし・・・焦った。先ほどのリーダーに「余分なライターはあない?」と聞いたら、マッチをくれた。なんとありがたい。
彼らは、Rae Lakes Loop というこのあたりのきれいな場所を回る50マイルほどのトレイルを回っているそうだ。これだけたくさんのトレイルが整備されていれば、自分で自由に旅のルートが組めて、家族や仲間で回ることができる。公衆衛生という面からでも、とても素晴らしい施設だと思う。
日本では、登山道は急すぎて、元気な人しか利用できない。インフラという意味でも、ずいぶん遅れている、いや、発想が異なっているのだろう。
アキレス腱が痛い、何とかごまかせてるけど、明日は大丈夫だろうか。一度治ったはずなのに、三日貼ってたバンドエイドをはがしたのが悪かったようだ。

もう、あと三日になってしまった。


8月11日 Woods Creek Bridge >> after Center Basin Trail JCT      (第9日:15.5miles)
 いつものように5:30に目が覚めた。用を足そうあたりを物色した。注意看板に「数十ヤード離れたところにるトイレを使用せよ」と書いてあるが、見つからない。仕方なく周りを歩き回った。いつの間にこんなにたくさんのハイカーが…と思うほど、けっこういたるところにテントが張ってあって、用をたす場所がない。結局吊り橋を戻って、川向こうに行った。毎日、とても快調だ。山に入って3日目くらいからか、毎朝、定期的に気持よく「お通じ」がある。開始から終了までものの30秒。それでも長さ30〜40cmくらい一気に出るので、棒で折らないとと穴に収まらない。トイレットペーパーを使用してもまったく汚れないので、最近は使用しなくてもよいか感じるくらい。なんとなく、食べる量と出る量が等しいのではないか、とさえ思う。タンパク質を摂っていないので、体重がどれだけ落ちてるのかと、不安になる。
 昨日、ジュンコさんから頂いたビーフジャーキーのなんとうまいことか。気分転換にもなるし、これはよい!と思ったが、たぶん今日でなくなるだろう。

7時、隣のボーイスカウトたちはまだ静か、マッチを下さったデビッドさんに、手をあげて歩き出す。
今日はグレン峠(3300m)を越えて、フォレスター峠(3950m)直下のギター湖までの20マイル弱。明日はいよいよ終点ホイットニー山。
 川沿いのトレイルには、ねじ曲がったホワイトバークや、自然に痛めつけられたフォックステイルなどの松が、散在している。自然の造形は、どうしてこれほどまでに不思議で細部まで丁寧にデザインされているのか。
 スペインを歩いた時、自分は自然の中を歩ける喜びを感じた。不思議な力が自分を支えてくれているように感じたのである。今回、より大きな力を感じるし、何より、自分自身がこれらの木々や、川や水や、草や動物と同じ、自然の中の一つの存在なのだ、ここにいること、歩いている自分がいることが「あたりまえ」なことだとという強い意識を覚えた。
 
なだらかな登り、2時間ほどだろうか、きれいなメドウとクリーク、その向こうにイルカの背びれのような山が見える。Rae Lakes にたどり着いたらしい。地図をみると、3つの湖が続いているように見える。釣り人が多い。きれいな湖だ、湖畔のトレイルから見ると、マスがいっぱい泳いでいる。まるで大きな池のある庭と築山の間を歩いているように思えてくる。グレン峠への登りは踊り場のある1.9マイルのスイッチバック。きれいだった三つの湖はいつの間にか見えなくなった。何人か、峠から下ってくる。走ってくる人がいる。ハイカーになってしまった私には違和感と懐かしさと両方の感覚が入り混じって、思わず声をかけた。彼は、オニオンバレーのキャンプ場からマラソンのトレーニングにやってきたらしい。26マイル以上は走ったことがないと言ってた。小さいキャメルバッグだけ背負っていた。
 グレン峠から、また激しいスイッチバックを下って行く。ここは石を落とすと、下の人に当たってしまいそうで、注意しながら歩いてゆく。アキレス腱が痛い。
目の前のピークを回り込んで行くと、ホワイトバーク松の斜面から、とてもきれいな色の湖が見えた。シャルロッテ湖。オニオンバレーのキャンプ場から9マイルほどのきれいな湖のそばには建物があるようだ。レンジャーステイションだろう。
 高度感のある斜面を下りきると、トレイルが水のないメドウに出た。二人の人が歩いてきた。一人はパークレンジャーの制服を着ている。子供のころお巡りさんに憧れたような気分で、レンジャーさんに写真を撮ってくれと頼んだ。笑って気持よく一緒に並んでくれ、隣の女性が写真を撮ってくれた。
Geoge Dukreeさん。女性は奥さん。なぜかとっても嬉しくなった。

Fin Dome

Rae Lakes

with prak ranger
 ビデットメドウから、バブズクリーク沿いに谷を登って行く。大きな谷だ。一目でとても大きな氷河があったことがわかる。足元には小さなリンドウのような花が咲いている。雄大で繊細な自然の営みに、またしても溜息が出る。ゲートをくぐる。郡の境界を示す木製のゲートだ。
 午後2時を過ぎ、下ってくるハイカーが多くなるっすれ違うたびに「いいキャンプサイトが上にあるかい?」と聞く。「いいところがあるよ、樹林帯の端に涼しそうなのがいくつもある」と皆が言うので、そこにキャンプすることにする。184マイル地点。それとわかるところにやってきたので、早速テントを張り、水を汲みに上流へ行くと、広くなったメドウのようなところで、若者たちがくつろいでいる。
「ここでキャンプかい?」と聞くと、「そうしたいけど、誰かがまだ登るんだって…」とリーダーらしき青年に皆の視線が集まっている。
私は腫れたアキレス腱を冷やしながら、上って行く彼らを見てた。制服の団体が降りてくる。もう生水は平気になっていて、水を飲んでいると、今度はつるはしを背負った制服の団体が降りてくる。トレイルを整備している人たちが、仕事を終えて、キャンプに帰ってゆくところだった。
 テント場に帰ってみると、何組かテントを張っていた。向かいに立派なテントを張ってる夫婦に声をかけた。ご主人が「クールなテントだね、それ」と指さすので、いつものように「半ポンド以下だよ、ちょっと小さくて顔が出そうだけど」と答える。「半ポンドはすごい!」と感心される。つい胸を張ったりする自分がいる。サクラメントからのジャックさん夫婦。「今夜は素晴らしい天体ショーが見られるよ」と教えてくれた。流星雨なんだ。
 隣のテントはアジア系。この谷の下部で見かけた二人連れらしい。めでたいお赤飯と味噌汁をいただいて、日記をつけていると、男性が話しかけてきた。台湾生まれだそうで、おばあさんは日本人だと言われた。年齢は私じ年。職業も昨年までの私と同じ、メインフレームのシステムエンジニア。富士通とIBMのシステムを開発してたというと、彼は長いことIBMのファームウェアの開発をやってたという。すっかり気があってしまって、もう夕食はすませたのに、ラーメンを御馳走になった。
 
天体ショーも見たかったが、なんとなく眠くていつもどおり7時半に寝た。




from Glen Pass


greate cirque

Jack nad wife

Kent Liu
8月12日 before Forester Pass >> Guitar Lake      (第10日:19.5miles)
 午前4時、目が覚めた。
昨夜、ジャックさん、劉さんと話してた時、「ホイットニーの頂上へは早めに行ったほうがいいよ。ピークになると、行列になるから」という話を聞いてて、それを考えてら。今日は早めに出発して今日中に、上ってしまうという手もあるな、と思いついた。えい、起きてしまえ、と3時過ぎに起きた。
 周りに迷惑をかけるので、峠の見えるメドウに出て、食事を作りかけた。月もきれいだ。星もすごい。と見上げてると、さぁーっと星が流れた。おおっ!思って、今日は流星雨かと納得。ぼうっと見上げてると、時々星が流れる。なぜ”shooting star”はと呼ぶんだろう。
突然、フラッシュをたいたように周りが明るくなった。顔をあげると、とても大きな光の筋が谷の上よよぎって消えた。「すごい!」と思わず叫んだ。早起きはとってもお得な気持ちにさせてくれた。

暗いうちに、テントを片付け、寒い。ダウンを着こんで出発。風のないスイッチバックを登って行く。明るくなってきたトレイルに、昨日のトレイルキーパー達の道具が立ったまま眠ってる。
小一時間、小さな湖に到着。昨日の若者たちのテントが眠ってる。TURN12248と呼ばれる大きなスイッチバックに差し掛かった時、夜が明けた。 こんなところにも花が咲いている。標高はもう富士山と同じ。 
 7時半、峠に到着。3960m。ここがJMT最後の峠になるのかな。
峠を越えて、トレイルは大きくカーブし、左の台地を避けるように谷を下っている。今日は何となく、気持ちがせいている。つい走ってしまう。なんとなく今日中に登りきってしまおうという気分になっている。アキレス腱がいたいけれど、走らずにいられない。
やっぱり走るのは気持ちがいい。荷物も軽いし、気持ちも軽い。朝の冷たい空気も気持ち良い。
10日間を思い出しながら、ゆっくりジョギング。下りきった森の中で給水。登りが始まると、歩きながらだんだんと落ち着いている自分がいた。
 いままでと違う風景は、大きな岩がごろごろしているからだろうか。まだ激しく崩壊しているようにも思える。正面に見える山の腹に大きなクレーターのようなへこみがある。きっと隕石でもぶつかったのかな、と思う。広い草原にでた。
ビッグホーンプラトー。真ん中の小さな湖に山が映ってる。明日は、もうホイットニーとわかっているのか、若者たちはのんびりとプラトーの風景を楽しんでいる。とりあえず、クラブトリーのレンジャーステイションに行こう。と、厳しい日差しの中、びっこ気味になってきた。
ヨセミテの受付で、”human waiste”の袋をクラブトリーでもらえと言われたので、まずは行ってみなくては、と休まず歩く。分岐にザックを置いて、レンジャーステイションの行った。背の高いレンジャーに説明すると、「それならトレイルに置いてあるんだけど…」という。「え〜ヨセミテではここで貰えと言われたのに」というと、「ゴメン、箱があったでしょう」と言う。そういえばなんか箱があった。お詫びにと、冷たい水をくれた。
 分岐に戻ってみると、箱に”human waiste bag”と書いてあるではないか。ゴミを入れてホイットニーポータルに出すのか、と思って考えていたら、付近で休んでいた娘さんが、恥ずかしそうに「ぴーぷー」と言って踏んばるしぐさをしている。
おお、人糞のことか!と、納得。でもさてどう使うのか???


trail keepers' weapon

flower before Pass

Bighorn Plato

Guitar Lake
 ティンバーライン湖からワンプッシュで、ギター湖に到着。きれいな湖、とても風景がいい。ホイットニー山の西側は鋸のようにギザギザなんだと、青い空にそびえる山を見て感慨。
 ルール違反のハイカーが草の上にテントを張っている。私は・・・かたくなに岩の隙間にテントを張り、裸足でのんびりさせてもらおう。
 10日間、いろいろあったなぁ…とぼうっとしていた。水を汲みに。クリークへ向かうと、クリークの一番上の滝の部分でズボンとソックス洗っている奴がいる。ちょっとむかっとして、「お前は常識がないのか、下流で飲み水を汲んでる人間がいるだろう!」と日本語で怒鳴ってやった。
通じるものだなぁ、謝ってそそくさと帰っていった。「悪いとわかっててやるなよ」とまた日本語。
ちょっと溜飲を下げた。

荷物の整理をした。食料は明日の朝のものを除くと、お赤飯が半分だけ残り、あとは行動食のみとなっていた。つまり食糧が底をついてる。それがいいのか悪いのか。まあ、よしとしよう。

もう何日お風呂に入ってないだろう。
着替えも二日に一度の水洗のみだし、飲み物も食べ物も同じものばかりだった。
でも、何かが欲しいとか、飲みたいとか思わないようになってる。
自分が変わったのかなぁ。
空って、なんであんなに青いんだろうか?
何も考えないで、ぼうっとするってけっこういいのかも。

次は何をするのか?
明日は?今度は?
どうやっておけば次が簡単に進むか?
そんなことばかり考えていて、一度もこんなふうにぼうっとすることがなかったなぁ。
あ、戦闘機が宙返りやってる。
明日の午前中で、終わってしまうんだ。

と、口をぽかーんとあけてると、「ぴーぷー」の娘さんが笑って通り過ぎて行った。
アキレス腱はなんとかもつだろう。明日は夜明けに頃に頂上に着けたらいいかと思いながら、6時に寝袋に入った。
風が出て、雷が鳴った。テントの支柱を倒して、また眠った。これだけ遮るものがないと、雷は恐ろしいもので、ホイットニー周辺は危険地域の表示があったのを思い出した。
明るくなったので、また支柱を立てて、眠った。ツエルトはこのあたりが、簡単で便利だ。

8月13日 Guitar Lake >> Mt.Whitney (JMT) >> Whitney Portal      (第11日:14.3miles)
朝、3時。なんとなく目が覚めた。思ったほど寒くない。
マッチは昨日使い果たして、やっぱり残り少ないライターで何とかコンロに火をつけた。ライター自体を温めておけばまだ使えそうだ。テントも寝袋ももう使うことはない。空になったベアキャニスターに詰め込む。
クッカーもこれが最後。あれもこれももう最後。大きめのスタッフバッグに入れ、デポ用荷物を作った。
あと必要なのは・・・そう、お金を出せるようにしておかないといけない。
長いこと財布を見てないけど、あるんだろうか?
ダウンのウェアを着たまま、最後のめでたいお赤飯を頂いた。お味噌汁も最後。おいしい。

4時過ぎ、ギター湖を後にする。月がとっても明るいから、ヘッドランプはいらない。
あれこれ思い出すんだろうか、と登りだした。が、けっこういい登りで、おまけに高度感も出てき、ついでに道幅もせまくなり、気を引き締めないと危ないかも・・・と、靴の紐を締めなおす。長い長いスイッチバックが続く。緊張感が、足の痛みを忘れさせてくれる。
5:30。狭いトレイルが広くなってちょっとした岩棚風のところに到着、トレイルクレストにたどり着いたことがわかった。ここでホイットニーポータルの方から上ってくるトレイルと合流する。ずいぶんと、長くいい(悪い)登りだったなぁと、ザックからデポ用のスタッフを取り出す。そこに、もう大きなクマ缶と荷物がデポしてある。
え?私より早い人がいる!驚いた。
ホイットニー山頂上までは2マイル。一時間もあれば着けるはず、そう思って先へ進む。鋸状の稜線のかなり下につけられた道は上りではなく平坦な道だ。大きな岩だらけの道は山稜の西側をずっと這っている。高度感があり、躓くと大変そうだ。夜明け前で気温がぐんぐん下がり、ときおり道に覗く土の部分は凍ってがちがちになっている。稜線の小窓から、朝陽が差し込んで、下のヒッチコック山を赤く照らし出している。夜が明けるのも早いものなんだ。そんな中にも咲いている花がある。たくましく、美しい、青い花。昨日のフォレスター峠にもあった。
三つの岩峰が見える、一番遠くの高い峰がホイットニー山だとわかると、ペースが上がる。雪と岩ばかりの稜線では踏み跡がところどころしか見えない。本峰にかかると、さすがに心臓が走りだした。体も重く、立ち止まりそうになる。ペースが落ち、風が強くなり、寒くなる。これはイカンと、ダウンのズボンを取り出し、岩陰で身につけると、一気に暖かくなった。なんとありがたい…そう思わずにおられない。小屋だ見えると道は消えてなだらかな岩だらけの斜面になった。
6:50.頂上小屋に到着。人が立っている。トレイルクレストにあった荷物の先客だった。その女性・カレンさんは、きのうの「ぴーぷー」娘さんだった。写真を撮り合って、長いジョンミューアトレイルの終わりを祝った。なぜか日本式バンザーイだった。
360度が見渡せる。西の海岸、都会のほうに雲がたなびいているほかは、快晴だ。サンタクルーズの山火事がまだ燃えているようだ。ビッグホーンプラトーもヒッチコック山もずいぶん下にある。
 何度もぐるっと見渡し、しばらく二人で「う〜ん、う〜ん」と言うばかり。
カレンさんに尋ねると、彼女は昨日の夜10時に頂上に到着し、小屋で一泊したらしい。
「暗闇の2マイルはとっても危ないし、よく無事に着いたね、なぜそんな危ないことを?」と聞いた。
「昨日は私の36回目の誕生日だったからどうしても昨日のうちに上りたくて。それに私はトレッキングが仕事だから大丈夫なの」という。
「おお、おめでとう!、そう、では今夜は誕生パーティーをやろう!」
「私、ピザが食べたい!」
「じゃ、ピザファクトリーだ」
と、賑やかに下山をはじめた。
ジョン・ミューア・トレイルは終わった。
ここからはホイットニー・トレイルというのだろうか。

 私の倍くらいの荷物を持ったカレンは、けっこう早いスピードで下山してゆく。私は上りが時速2マイル、下りが時速3マイル、平均で時速2.5マイル(4km)。こちらでもけっこう健脚になると思うけれど、カレンは私の倍の荷物なのに。彼女はアパラアチア山脈のトレイルで、トレイルウォークの講師をしているという。
2峰の雪渓でランナーに会った。見ているほうが寒い。時折、登山者に会う、ギター湖からの人たちだろう。
途中の岩棚に小さいザックが置いてある。
「このザック、来るときもあったけど、君の?」
「昨日、私が登るときもあったわ」
「誰か遭難?」
中を開ける。空のペットボトルと空のジップロック,etc…ゴミだった。誰かが重くなって、置いて行き、帰りに拾うのを忘れたのかも知れない。荷物の軽い私が背負って、トレイルクレストに戻った。
 再び稜線に出ると、眼下にオーエンズバレーが広がっている。見降ろすと、ほぼ絶壁。スイッチバックが延々と続いて下っている。快晴のトレイルを何度も何度も折り返してゆく。
挨拶をするのが嫌になるくらい、たくさんの人が登っている。みんな、「あとどのくらい?」「天気は?」「寒い?」と聞いてくる。適当に答えながら、私は「この道は死んでも登るまい」と思った、ぜったいに上りたくない。それくらいスイッチバックが多い。もしかしたら、10日間のスイッチバックの半分がここにあるのではないかと思ったくらい。


on the top

Karen

100 of switchbacks

LonepineLake & Owens Valley

ローンパイン湖で、眠って行くというカレンと別れて、ただひたすらホイットニーポータルへと下った。
13:10。頂上付近で拾ったゴミと、自分のゴミ、人糞を捨てて、旅が終わった。
日本から予約してたホテルも、ホテルからのバス予約も、モデストまでのアムトラックの予約も、無駄にならなくてよかった。

ホイットニーポータルは観光客で賑わっていた。久しぶりにハンバーガーとビールで、ランチ。ステラーカケスがやってきて、じっと見てゆく。店で携帯を充電させてもらうが、電波が届かない。
町へ下りようかと、腰を上げ、道路を下って行った。
「おわっちゃったなー」と独り言を吐きながら、後ろを振り返り、振り返り、歩いていった。
ヒッチハイクは簡単だった。2台目の高級クライスラーが乗せてくれた。オランダからの観光客だった。
ニューヨークからロサンゼルスまで、車で旅をしている若者カップル。話してると、どうもホテルが同じ。
「奇遇じゃね」と盛り上がり、「オランダにはこんな山はないよね」「よくこんな山に登るね」
と、車はローンレンジャーの町へ下って行った。

ホテルのチェックインでひと悶着あったが、無事、泊まれることになった。ひと悶着というのは、私の予約が一月違っていた、というものだ。August13ではなくJuly13で予約していたらしい。でも、たぶん間違いだと思ったので、キャンセルにしておいた、と言ってくれた。なぜわかったのだ?
 シャワーは気持ちよかった。体重は134lb=61kg弱。日本を出るとき、68.2kg=149lbだったから、ずいぶんと落ちたもんだ。ワインもうまかった。町をぶらぶらして、携帯がつながる場所を一か所発見し、無事、到着のメールを送った。

その夜は、カレンの誕生日をピザ・ファクトリーで祝った。
けっこう飲んだのに、眠れない。ベッドがふわふわして眠れない。
床で眠った。

8月14日 Lone Pine - Mojave - Bakersfield - Modesto     
 あまり眠れなかったとういか、ほぼ一時間おきに目が覚めて、そのたびに家の中で寝ているんだ、と不思議な気分になった。久しぶりに空飛ぶ夢を見た。海の上の大きな橋に飛び降り、また海に向かって飛び出して飛行機のように飛び回る、いつもの夢。それに金山寺の行者さまが何人も出てくる夢も見た。
 結局いつものように5時半に目が覚めて、いつものようにコンロに火を付け、最後に残っためでたいお赤飯と味噌汁を作る。ホテルの感知器がならないように気を配ったけど、メタクッカーではならないだろう。いつもより、お赤飯はおいしかった。
 食後、町をうろうろと散歩してたら夜が明けた。ホイットニーが赤く輝いていた。ホテルに戻って、カメラを取り出し、町角でシャッターを切った。何枚か撮っていると、店開きを始めた釣り具やの親父さんが、「おいおい、そりゃホイットニーじゃない、ローンパインピークじゃぞ、ホイットニーはあっちの小さいのじゃ」
と教えてくれた。はは、昨日からずっと勘違いしてた。



with Karen

Lone pine Peak and Whitney
10:00 バス停でカレント合流。グレイハウンドが廃線になって、今は小さな個人会社がリノ〜モハーベ間にシャトルと走らせている。予約なしでも乗れるようだ。砂漠となったオーェンズバレーのフリーウェイをバスはモハーベへと向かう。ローンパインの隣に、大きな工場があった。”CrystalGeyser”とある。思わず飲んでいた水のボトルを見ると、”Mt.Whitneyの水”と書いてあった。あまりに大きな工場を見ながら、きっといつかこの水も枯れるんだろうな、と漠然と感じた。まるで、砂漠になったオーェンズヴァレーのように。

12:30 モハーベ着。私は1時間、カレンは4時間のバス待ち。1時間ほど、二人でCarl'sJuniorのポテトをつまみながら、話をした。バスの時間がきたので、「またね」と別れ、彼女は近くにある図書館に時間をつぶしに行った。
アムトラック・バスはオーエンズバレーからシエラネバダの南端を越え、セントラルバレーに入っていった。
セントラルバレー。相変わらず、乾燥した風景だけれど、伏流水を使った農業が盛んで、緑が突然現れる。センターピボットのレタス畑など、どう考えても異常に見える。この国の人たちは水をまるで「湯水のように」浪費している気がする。
バスの運転手は、携帯メールしながら運転している。乗客はどうみても貧しい人ばかり…一番汚いのは私の服だけど。
15:10 ベーカーズフィールドからアムトラック列車でモデストに向かう。ここも同様の風景だ。
列車の中はさながらダウンタウンの街角。いたるところで大声で電話をかけ、子供は走りまわり、はてはDVDを大きな音で聞きながら座席で体をゆすっている。後ろの人はそれに合わせて歌っている。うるさい、と思うより、あきれてしまった。

20:00 モデストに到着。
 ケンの家で、「カリフォルニアそうめん」のディナー。長い旅だった。

いろんな人に助けられた11日間だったけど、あっというまだったのかもしれない。
バスルームの鏡に映った自分の身体を見て、驚いた。中学生時代のようにろっ骨が浮き出て、肩の筋肉も落ち、まるで栄養失調のようにも見えた。体重も昨日より減っていた。


通過・野営場所 距離(mile)  標高 (ft) 日付 距離 補給
Happy Iles 0.0 4,000 8月3 0.0  Fisrt camping place
Nevada Fall 4.0 4,035 4.0
EchoValley 10.7 4,430 6.7
Marced Lake 13.3 5,940 2.6
Vogelsang 20.2 9,700 8月4日 6.9  
Evelyn&Ireland Lake Trail, JMT 26.8 8,880 6.6
Lyell Base Camp 31.5 9,040 4.7
DonahuePass 35.7 11,056 4.2
IslandPass 40.3 10,200 4.6
SoutherndIslandLake outlet 41.9 9,950 8月5日 1.6
Pass above Ruby Lake 43.2 10,150 1.3
Shadow Lake inlet 47.0 8,780 3.8
Gladly Pass 49.5 9,700 2.5
Reds Meadow 57.2 7,550 7.7
Duck Pass Trail 67.2 10,160 8月6日 10.0
Inlet of Lake Virginia 70.9 10,200 3.7
FishValley Trail 74.3 9,100 3.4
Silver Pass 77.7 10,900 3.4
Edison Lake Trail jct 84.5 7,750 6.8
Seldan Pass 98.6 10,860 8月7日 14.1
Florence Lake Trail 104.6 8,400 6.0 (Muir Trail Ranch)
McClure Meadow Ranger Stn. 116.0 9,600 8月8日 11.4 JMT (end)
Muir Pass 126.0 11,955 10.0
mile 130 130.5 10,800 4.5
Le Conte Ranger Stn. 133.7 8,710 8月9日 7.7
Golden Staircase 145.0 10,400 11.3
Upper Palisade Lake 147.0 10,700 2.0
Mather Pass 148.7 12,100 8月10日 15.0
Cartridge Pass 154.7 10,030 6.0
Lake Marjorie 157.4 11,160 2.7
Pinchot Pass 159.2 12,100 1.8
Woods Creek Bridge 166.7 8,495 7.5
Glen Pass 174.3 11,978 8月11日 7.6
Vidette Meadow 178.2 9,550 3.9
mile 184 184.0 11,000 6.2
Forester Pass 185.7 13,150 8月12日 7.5
Bighorn Plateau 192.2 11,430 6.5
Wallace Lake Trail 194.7 10,380 2.5
Crabtree Ranger Station 199.2 10,650 4.5
Guitar Lake 201.7 11,450 8月13日 2.5
JCT Mt.Whitney Trail 204.2 13,600 2.5
Mt. Whitney Summit(<=>5miles) 207.0 14,500 2.8
Trail Crest 209.3 13,777 2.3  
Whitney Portal 217.2 8,350 8.0


装備一覧

<装備> 数量 総重量
バックパック OsprayTalon33 1 900
シュラフ イスカAIR280 1 600
マット Thermarest 1 500
ツェルト finetrack 1 240
〃ポール・ペグ・紐 自作 1 260
BearCanister 1 940
ナイフ 1 40
水ボトル 1 150
非常用ポンチョ 1 70
ライト Energizer 1 80
小計 3,780
<生活>
防寒上下 モンベルULダウンインナー 各1 460
レイヤー Lowe 1 600
インナー 1 -
ソックス 1 -
ウィンドブレーカ 1 -
タオル 1 -
エイドキット 1 120
小計 1,180
<食事>
水濾過器 セイシェル 130
コンロ・クッカー 340
燃料 Esbit(6日分) 80
スプーン 1 30
水タンク 1L 1 30
小計 610
<記録>
カメラ 150
携帯 120
筆記用具/地図・許可証 250
メガネ・サングラス 20
笛・電池 40
小計 580
<食料> 4日分(前半)
α米(赤飯) 4 880
カロリーメイト 4 160
お茶漬け 5 40
味噌汁 5 60
スープ 5 100
コーヒー 5 90
粉末飲料 2 130
行動食 (4日分) 450
キャンディー 140
サプリメント 120
小計 2,170
●総合計● 8,320
<ウェア>
Montrail・ 1 300
Tシャツ 1 150
短パン 1
ソックス 1
小計 450


<食料> 5.5日分
α米(赤飯) 5 1,100
カロリーメイト 9 390
お茶漬け 6 50
味噌汁 6 80
スープ 6 150
コーヒー 5 90
アミノバイタル 10 160
レーズン 150
くるみ 200
チョコレート 150
サプリメント 110
梅干し・塩タブ 150
小計 2,630